アドベントチルドレン

アドベントチルドレン」の映像がそこそこ見れるどころかけっこういいものになっていて(プロモで見る限りね)、数年前の「ファイナルファンタジー:ザ・ムービー」がいま見るとやはりキツいのは、単純に技術が進歩したということなのかしら。きっと違う。

要するに、顔の問題なのだ。映画と今回の「アドベント〜」の違いって何、と考えると、それははっきり言って「美男美女濃度の違い」なのだ。映画版のアキも、仮にCGから「現実に」翻訳したらかわいいのかもしれんけど、CGという表現の中ではあの顔はあまりに中途半端にリアルすぎた。あの技術的精度であの造型を「かわいい」というには、あれはあまりに微妙な美しさ加減だったのだ(というか、可愛く見えない)。

翻って、「アドベント〜」が劇場版のCGほどの微妙さを感じさせないのは、ひとえに、登場人物のほとんどがあり得ない美男美女(しかも若者)揃いである、ということに尽きる。なぜか。美男美女とは多少崩れていて「味わい深い」顔とは異なり、そうした微妙な情感を排した完全な記号的存在だからだ。美男美女の顔というのは、我々がメディア教育されるなかで煮詰まった、その時々の文化の純粋な形態である。要するに、そこに表現の「幅」は皆無に等しく、その目鼻立ちは我々が既に了解した範疇でしかありえない。極端に「整った」顔とは、つまるところ「アニメ」なのだ。我々はそれを記号として了解せざるを得ないのだ。

「味わい深い顔」つまり人間の本来あり得る顔、をCGで表現することが難しいならば、主人公周りを全部美男美女にしてしまえ。「劇場版」の失敗から学んだ彼らは、クラウドセフィロスを中途半端にリアルにすることを拒んだ。それは記号的存在として了解できるまでに美形でなくてはならない。CGにおいては「ありがち」で「つまらない」くらい面白みのない美形でなくてはならない。

つまり、一生懸命「現実」を目指して敗北した劇場版に比べ、「アドベントチルドレン」のとった方向は明らかだ。要するにあれはアニメなのだ。CGとしての質感表現やライティングといったディテールの精密さは保ちつつも、記号的存在として了解できるまでに純化された破綻のない顔による物語。要するに、あれはセルアニメと大差ないのだ。だから自分は、あのCGの顔をそれほど違和感なく受け入れられるのだろう。セルアニメと大差ないなら、「イノセンス」の人物もセルでなくともよかったか、というとそうではない。バトーは、目があんなサイボーグアイであるにも関わらず、明らかにおっさんであり、あのおっさんをCGで観たらやはり「ううーん」となってしまう。リアルなおっさんはCGだと記号の範疇をはみ出してしまい、表現がおっつかなくなるからだ。美男美女の世界ではない。いまのところ、CGで納得できるのは「複雑さ」をギリギリまで削ぎ落した結果としてある美男美女だけだ。

記号的美男美女の次は、恐らく「類型」という段階が待ち受けている。これは「現実の顔」よりは実現容易だけれど、美男美女よりは難易度が高い。