親切なクムジャさん

わりかし真面目に笑わそうとしているので、逆にスベったときキツい、というのがこの映画なのかも知れない。

この人のギャグというのはわりかしワンパターンで、長いワンカットの背景で何かひどいことが起こっていて面白い、というやつだ。言ってはなんだが、基本的にこれ、ズッカー精神、裸の銃イズムである。「復讐者〜」で言えば姉さんを埋める聾唖の主人公の後ろで少女が溺れる、とか、「クムジャさん」で言えば背景で人がすっころぶ、とかそういうことだ。この構図だけとはいわないまでも、その悪趣味を抜いてみれば、これらの映画のギャグはわりかし引いた構図とワンカット、という古典的な範疇に属するものであり(刑務所の『毒殺』カットなどは普通にドリフだ)、大きいスクリーンで人をちっぽけに引いて映せば、それは大体面白くなるに決まっているので、パク・チャヌクのギャグセンスというのは、パターンがわかると結構退屈なものになってしまう。

ただ、「復讐者〜」では映画自体がギリギリ、わりかし生々しい世界の範疇に収まっていたので、ギャグがいささか突出した印象を与えていた。「ドアノブに電気ギャグ」とかそういうのが、なにやら深刻にどうしようもない世界の中で突発的に展開するので、妙な感じで面白かったのだ。が、この「クムジャさん」は最初からリアイティのレベル(抽象度)を低く設定する、と宣言して始まるので、これらのギャグが完全に構図に依存したものであることがバレてしまい、そうなると中途半端にドラマツルギーに支配されたこの映画よりは、「裸の銃」のほうが面白い、ということになってしまう。

そういう意味で、「オールド・ボーイ」はギャグを構図任せにしていなかった、というかスベりそうなギャグをやっていなかったので、そういう意味では人が言うようなぶっとんだ映画と言うよりも、技巧を適切な範囲で適正に使用した、端正な映画だったと言うことができる。同じ真横カットでも、「オールド・ボーイ」の横スクロールアクションがスベらず、「クムジャさん」の順番待ち家族がズベってしまっているのは、やはり構図「だけ」に頼っているかいないか、という違いにあるのかもしれない。「オールド・ボーイ」は人物がアクションすることによってギャグを張っていたが、「クムジャさん」はシチュエーションによって笑わそうとしているのだ。それは映画の笑いというよりは漫画の笑いに近く、映画においてこれはよっぽどうまくやらないとスベってしまう。

要するに、パク・チャヌクがズッカーに追いつける日はまだ遠い、ということだ・・・あれ、なんか間違ってるか?