ボーン・スプレマシー

 ここ最近、冒険小説の名作の映画化が続いている。こういうタイプのアクション映画の企画は90年代後半から消えはじめ、一時期は誰も求めていないもののように思われていた時期もあった。しかしここにきて「マイ・ボディガード(燃える男)」とこれだ。

 邦題が「殺戮のオデッセイ」でないのは、ここまで来るともう原作関係ないからどうでもいい。小説の原題なんだし。「マイ・ボディガード」とこれ。いずれもがタイトに締った傑作であり、観客の大半が映画にやたら説明的な情緒ばかり求める、そんな世の中の流れに逆らった、行動によって物語をビシッと示す映画的ストイックさを持っている反時代的な作風である、という2つの点においてこれらの作品は同じだ。タイプはまったく違うけど。

 というわけで、映画を観てひさしぶりにテンションがあがりましたよ。最近これってたえてなかった。映画見てアッパーになるなんて。

 これがどういう映画かというと、ザクザク判断しまくる映画、とでもいいましょうか。疑心暗鬼に陥ったり悩んだり後悔したり、そんな苦悩の表情を延々と映して観客に「心理描写してますよ〜」と「言い訳」する時間なんてねえ!こいつらはプロだ!すべてが行動の中で語られるべきだ!そんな作り手の意思があったかどうかは知りませんが、この映画は確かに言い訳がない実に正々堂々とした「映画」であり、それが証拠にマット・デイモンの台詞少な!語る前にざくざく計画し行動するジェイソンが映画をぐんぐん前進させ、うわあこの進む感じ、これが映画だ、という快感に1時間40数分私はひたっておりました。

 序盤、凄腕の暗殺者がインドで主人公を狙って繰り広げるカーチェイス。主人公の巧みなドライビングによってぐんぐん離されていった暗殺者は、前方に川があると見るや、あっさり車を捨ててダッシュ!この「車ではもう追いつけないという現実的な判断→しかし川を渡るには橋を通る→つまりそこばかりはルートが確定しているうえ左右に振れる幅もない→狙撃にうってつけ」という判断を瞬時にこなして、暗殺者が車を捨てて走り川べりに狙撃位置をとる、という描写にまずしびれる。主人公もまた、その局面局面であるときは周到に準備し、あるときはMASTERキートンのごとく有り物を使いまくり、とざくざく判断してピンチを切り抜ける。行動のオプションがものすごく多い人が、テキパキ鬼のように判断し判断し行動していく、それだけで構成されたかのようなタイトな映画に、悩んだり泣いたりして観客に言い訳するためだけに演じられる「心理描写」の居場所はありません。そんなものがなくとも、主人公の行動の中に、マット・デイモンの表情の微妙な陰の中に、映画的なエモーションは宿っているからです。

 一応前作の要素が大きく絡んでいる物語なので、前作を憶えていない人は見ておいた方がより楽しめます(前作見てないと、中盤の家で戦う男が誰だかさっぱりわからんだろうなあ)。

余談: ラストにロシア美少女が出てきます。しかも泣きます。

 どうでもいいことだが、グリーングラスって激しく謎な経歴なんだな。映画監督としては知ってたけど、まさか「スパイキャッチャー」をピーター・ライトと書いてたグリーングラスと同一人物って最初ネタかと思った。「対決・スパイキャッチャー事件の舞台裏」っていう例のスパイキャッチャー発禁騒動を扱った本では、11章「グリーングラス登場」って、チャプターのタイトルロール(笑)になってるじゃん。残念ながらこの「対決」は手許にないんだよな。古本屋で探そうかしら。