「蹴りたい田中」

や「華氏911(これに関しては、正直ブラッドベリに失望したよ。肝の小さい爺さんだ)」はオッケーなのに、「世界の中心で愛を叫ぶ」や「CLANNADクラナド)」に感じる気持ち悪さ、下品な感じはなんでしょー、とつらつら考えてみたが、単純なことで、「蹴りたい田中」や「ファーレンハイト911」は「みんな知っていることを前提とした」パロディーなのに対し、後者二つはどう考えても「かっこいいし、みんな知らんだろうからイタダいてよかんべえ」という卑しすぎる根性が気に入らんのだ、ということだな。そもそもエヴァで「世界の中心で〜」と出てきたときもちょっぴりイヤだったのだ。「かっこいいし、みんな知らんだろうから使っちまえ」的卑しさが微妙に漂っていたから。でもまあ、庵野さんSF者だし、そうとばかりも言い切れんだろう、ということでスルーしていたのだけど。

「悔い改めよ、ハーレクイン!とチクタクマンは言った」とか、「万延元年のラグビ−」とか、そういうのはいいんだけど・・・「世界の中心〜」「クラナド」みたいに、題名の時点で卑しい根性が張り付いているのって、見ていて正直不快だなあ。志の低さがスケスケで。

つまり、法的なことや倫理的なもの(はすこし関係あるか)で間違っているからだめだ、というのではなく、作り手の志の低さと醜さが「美しくない」から嫌なのだな。単純に美的な問題だ。

つまり、「エブリ・リトル・シング」というゲームが仮にあったとして、それ寒くないか? 「Di As Infinity」って題名の小説、読む気するか? 「ドアーズ」とか「ビートルズ」とかそういうタイトルのゲーム見て、作り手の「恥」の感覚を疑いはしないか? ということなのだ。醜いでしょう、そういう「恥」の欠如。

クラナドといえば、「Theme From Harry's Game」は本当に名曲だと思う(これを「パトリオット・ゲーム」のサントラで聴いたのが、クラナドを聴くきっかけだったのだ)。


追記:と思っていろいろサーフィンしていたら・・・「アカルイミライ」ってエロゲーがあんのかよ(爆笑)! おしぼり工場の上司一家を撲殺するゲームか? 東京都の河川で毒クラゲを繁殖させるシミュレーションか? 廃品を回収して修理するゲームか(なんだか「グルーヴ地獄」みてえだな)? 黒沢清は「セックスシーンは撮れない(人物が密着して距離がない構図は苦手だ、という意味)」って言ってたぞ! googleで検索したら映画オフィシャルの次にきやがった! ここで見ると「シチュエーション:輪○(3),レ○(1),寝取られ(1),ア○ル(1)」とか書いてあるぞ! どうする黒沢清(意味不明)! ラース・フォン・トリアーなら撮れそうだ!

なんだか怒る気力も無くなってきたが・・・「To Heart」ってテレビドラマが放映されたとき、エロゲーやる人たちは何にも感じなかったのだろうか。感じなかったというならいいけれど・・・もしあのとき不快や気持ち悪さや怒りを感じていたのなら、こういうことがどれだけ醜いかわかると思うのだけど。