M:I:III

 イーサン・ハントと医者である奥さんが、職場でセックスをしている。

 という描写は何を意味するか。答えは「イーサン・ハントと医者である奥さんが、職場でセックスをしている」だ。

 職場でセックスしているから二人の絆は深いのか。んなわけあるかい。職場でセックスしているからふたりはお互いのことを思いやっているのか。んあわけあるかい。この映画のプロットが恐ろしく退屈なのは、この部分だ。二人の出会いと愛を描いている(と思わせたいらしい)一連の過去場面。そのすべてが悲しいぐらい説明的で、説明以上の何の機能も果たしておらず、しかもそれが実は説明になっていない、という悲惨な機能不全を起こしている。そういう意味では冒頭のパーティの場面も退屈なのだけれど、あれは一応イーサンの二重生活、秘密と嘘、日常と非日常、を描いてはいたからまあ、必要だったといえば必要だったかもしれん。

 奥さんに職業を偽りながらのスパイ稼業。この映画は構造的にまんま「トゥルーライズ」だったりする。それは中盤のアクションを見れば明らかだ。しかし、「トゥルーライズ」が、核テロとの戦いという世界の命運を背負ったヒーローが、そのセコい日常に悩まされる、という落差を物語にしていたのに対し、イーサンの日常は「彼も人間なんですよ」以上の機能を果たさない。いままでで一番「チームとしての」IMFを描いたと言われるM:I:IIIではあるけれど、皮肉なことに、その内実は三作中一番のヒーロー映画になっている。

 だって、彼はヒーローであるから、奥さんをさらわれるという(冒頭に出てくるからネタバレではありません)個人的な危機に陥れられるのだもの。彼はヒーローだから、チーム・リーダーであるにも関わらず自分で敵陣に突入し、自分で敵のボスに変装し、そのボスに復讐されるのだもの。ヒーローはいつだって、中心にいるものだ。

デ・パルマの「1」は、実はヒーロー映画ではない。彼にはフェルプスという上司がいる。最初にチームが崩壊するプラハの作戦でイーサンが果たす役割は、かなり小さい(作戦指揮はフェルプスがやるし、目標の部屋への侵入は通行証を偽造した女性工作員と一緒に入る)。「1」におけるイーサンは、あくまでチームの若手のひとりに過ぎない。

そうした「1」に比べると、「3」ははっきりヒーロー映画だ。何せ、彼はバイクで飛行場にやってくるのだから(「トップガン」でミラマーに来た最初のカットを思い出しましたよ)。出張に行く、と奥さんに言った嘘の辻褄は、そこにはない。別に矛盾を指摘したいのではなく、これはいくら私生活を描こうと、いやむしろ私生活を描くが故に、イーサン・ハントはそのメイン・プロットにおけるヒーロー性との乖離を際立たせ、ゆえに「二重生活を送る」特別な存在、「敵の怨みを買い、個人的に標的にされる(他のチーム・メンバーは狙われない)」特別な存在、として、ヒーロー度を増してゆく。「1」におけるかれは、上司に指示される若いスパイにすぎず、上司の奥さんに横恋慕する間男に過ぎず、私生活を描かれないがゆえに、スパイというそれだけがアイデンティティーの、ただそれだけのキャラクターだった。そして、ヒーローとは「ただそれだけ」のキャラクター「でない」存在のことだ。「ヒーローであるがゆえに」悩みがないのではない。ヒーローであるが故に、彼は悩みを持たされるのだ。

 奥さんを盾に脅迫される・・・そのプロットを補強するために描かれるのは、その出会いのエピソードでも夫婦生活または結婚前に付き合っている時の特別な事件でもない。イーサンと奥さんの結婚式、そしてセックス。この場面は恐ろしく醜悪だ。これがこの夫婦の何の説明になるのだろう。こんなものは「イーサンの私生活」でもなんでもない。一見、夫婦の関係について説明しているかのように見えるこの場面だが、はっきり言いたい、こんなものは、結婚式があったということと、病院でセックスをしたということ以上の何かではまったくない。

 好みの問題はともかくとして、少なくとも「トゥルーライズ」は、夫婦生活の描写がそのまま物語だった。倦怠期、浮気の疑い。そうした展開がすべて物語だった。しかし、この映画の二重生活は、物語にまったく絡んでこない。はっきり言って、奥さんがイーサンをスパイだと知っていても、なんの問題もないんだから。奥さんはイーサンを疑いながらも、「ただ信じてくれ」というイーサンの言葉に「信じるわ」などと言ってしまい、この二人の関係は「愛しあう夫婦」という固定した状態に留めおかれ、それは全編を通じてまったく変化することがない。んな固定した関係を説明するために費やされる、「説明になっていない説明」のなんと無駄なことか。冒頭にわざわざ後半のホフマン大爆発を持ってきた、というのは、「イーサンの私生活を描く」パーティー場面の退屈さを作り手もわかっているからでしょうが、この時間軸いじりがまた「冒頭部で何かが起こりそうな予感を描けないから、後半を頭にちょっと拝借」てだけ。

・・・この「ヒーローを人間として描く」みたいなの、みなさんやめませんか、ねえ。それをメイン・プロットに絡ませないのだったらさ。

長々と描いてきましたが、要するに「ヒーローのくせに、ヒーローでないふりをしようとして、嘘になっていない嘘をつくな。その嘘の部分、全部退屈だから」ということですかね。

 個人的には、あんま評価高くないです、今回は。「2」ほどひどくはないけど。プロットだったら「1」のほうが全然マシじゃん。機能してない部分がないし、デ・パルマの手癖も楽しいし。

 ただ、例の「トゥルーライズ」な橋の場面は、ちょっと凄いです。閉鎖状況をうまく出しているし、ミサイルの容赦ない感じとか、トムや襲撃チームが動き回る感じとか、上手い。ここのアクションは最近観た映画の中では、一番燃えました。あと、トム・クルーズの変な走り方も好き。走るのを撮るのは上手いなあ、とは思いました。監督の演出のおかげか、撮影監督の腕か、トムの肉体の独特の動きによるものか、は判断つきませんが、ここは「動いてる画って楽しい」っ思わせてくれました。