ボーン・スプレマシー祭り

 たぶん知らなかったのは自分だけだと思いますが、この映画、アンクレジッテッドでブライアン・ヘルゲランドトニー・ギルロイのホンをリライトしているのね。「マイ・ボディガード」とこれ、なんだかこの分野の専門家になりつつあるな、ヘルゲランド。エルロイ、クィネル、ラドラムとは、なんというか本当に贅沢な脚色歴ですねえ。

 ブライアン・コックスの退場シーンにはヘルゲランドのテイストが濃厚に漂う。ヘルゲランドが書くと「人生」ののっぴきならなさがどうしても漂ってしまうのは業のようなものなのだろうか。主人公が最後、少女に与えるものができる唯一のものが「真実」しかない、というのは救いでもあり、残酷さでもある。

 直前のアクションシーンにおけるダメージが、その直後の「告白」で視覚的に感情を演出する要素となっているというのは、まさに「映画」にしか果たし得ない演出ではないか。血の気を失った顔、引きずった脚、そういうものが寂寥感と罪悪感と救済という矛盾した要素がないまぜになったあの場面の演出にものすごい勢いで(場面自体は静かなんだけど、あの要素の機能の仕方は「勢い」としか言い様がない)貢献している様には、映画を真剣に作った結果がどれだけ威力を発揮するかという実例を見せつけられているようでうれしくなる。

 アクション映画でこんな芸当ができるなんて、ちょっと感動的だ。いや、アクション映画だからできたのか。「ただの」アクション映画にできることはまだまだある。耳許で「感動しろ」と怒鳴られることに慣れた観客たちに、そのことが伝われば、映画はたぶん、もっと楽しくなる。

 あと、わたし「ドグマ酔い」するひとなんですが(ついでに言うとFPSゲームにも酔う。なにせ教習所のS字で、自分が運転していた車で酔ったという物凄い伝説のある男でもある)、この映画、不思議と酔わなかったんですな。手持ちでカット数やたら多いのに。って「不思議と」って書いたけどわかってるんです。ラストのカーチェイスはタクシーを黄色くしたり、あるいはフォーカスやレイアウト、照明で見せる対象を明確にして、画面に映す情報を絞り込んでいるので、よくある「単に手持ち」の映画と違って画面内を「目で追う」必要がないから。あれだけ細切れなカットなのに位置関係がバッチリ把握できる、というのはけっこう凄い芸だと思う。

 どうでもいいことですが、ジョーン・アレンがめっさ早口(てかこの映画、全体的に早口)で喋っているのには圧倒されます。「This is Pamela Landy, CI(Counter Intelligence) Supervisor.Where do we stand?」とか2秒で言い切る。おのれはオタクか。アメリカ映画に出てくる「有能な女性」ってみんな早口な気がするんですが、気のせいでしょうか。

 CIAのマーシャル次官を演じていたトーマス・アラナのプーチンなパラノ顔がけっこう好きなんですが、なんだか見覚えがあるな〜と思っていたら、「グラディエーター」で主人公の副官やってたおっさんじゃんか。このおっさん、あの健さん映画「海へ〜see you」に出てたらしいんですが・・・どこだ?「パールハーバー」で誰やってた?「L.A.コンフィデンシャル」のどのあたりにいた?