てめえがやらないから、キャシャーンがやらなきゃならんのだ

先日までこの映画について、いろいろネガティブともとられる(いや、実際あまりいい評価ではなかったのだけど)ことを書いてきましたが、

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/roadshow/20040423ub03.htm

これを引用やリンクして、さらにそのあとに「自分も赦すことにしました」などとつけくわえてしたり顔になっている「だけ」の人間を、はてなやそのほか10箇所以上で見かけ、あまりに腹がたったので、前言は撤回して、キャシャーンはいい映画だ、ということでこれからはいこうと決心する

この映画はへたっぴいだ、と確かに自分は書いた。いまそれを猛烈に後悔している。この映画は、少なくともあなたたちよりは高潔で誠実で上等だ、とほとんど義憤に近いものをおぼえた。ウェブ、インターネットというのは、こんなにも他人の言葉をひいて考えること、世界に向き合うことを停止する引金に、たやすく堕落するものだったのだろうか。これじゃ、政府やメディアとどっこいどっこいだ。いや、それ以下だ。

けなすなら、てめえの言葉でやれ。引用なら、イノセンスくらいぶっとんだことをやれ。何も書いていない読売の文章も相当駄目だけど。柳下評や粉川評ぐらいの文章としての面白さは確保しやがれ。ネガティブポジティブは関係ねえ。こいつはいかに世界と向き合うかという誠実さの問題だ。それができないんなら黙ってろ。

悪口を見るのが不快なわけじゃない。てか、楽しいことも多い。けどそれは、上のような思考停止状態の悪口じゃない。なにか語ることが少なからずある人間の悪口だ。「つまらなかった」でもぜんぜんいい。てか俺はそれに近い。けれど、上のやりくちは「つまらなかった」「寝てしまった」という正直さに比べて、遥かに程度が低い。

大体、「赦す」って全然赦してないじゃんか。皮肉言って全否定じゃんか。俺は赦した。すでに試写で見た後、木戸銭払って初日に行ったからな。それが「映画を赦す」ということだ。今日はあまりに腹がたったので、この映画のためにもう一度くらいは劇場の窓口で金払ってもいい、という気になってきた。

少なくともこの映画は、この人間たちより誠実で一所懸命だ。それがどんなにへたっぴいであろうとも。考えることを、自分の言葉で語ることを忘れたらおしまいだ。