ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

ルネッサンス」とこれ観て、家に帰って一番最初にしたこと。「ハリー ルーナ 萌え」でmixiの日記検索かけること。

相当ダメだと思う。誰が?俺が。

まあそれほどまでに本作のルーナの破壊力は萌え畑にとってすさまじい威力がある。ほとんどハリポタ初の萌えキャラであるとはいえまいか。実写というのは厄介なもので、外見は萌えでも声が萌えであることなど滅多にないのだが、これが恐ろしいくらいに萌え声だ。なんか、製作者は日本のアニメを見てキャスティングしたんじゃないかと思うほど。それを知ってか知らずか、戸田字幕はこの萌えっ娘に奇妙なアクセントを持たせている(吹き替えはどうだったのかしら)。いわゆる「変語尾系少女」属性もあるわけでふ。おっと、これは萌えキャラではなくくーまんだったな。失礼しましたでふ。どうでもいいが、このくーまんのおかげで俺が今度機種変できる携帯はくーまんが実装された東芝の一部のsoftbank物に限られてくるわけだ。くーまんファシズムというやつだ。一度くーまんに魅入られたらもうそこから逃れることはできないでふ。

とまあ、そんなことは置いといて、

正直、いい感じになってきた。というのは原作の方向性の話だけれど。辛気臭い話は大歓迎だ。話は変わるが、正直、俺は運動会が大嫌いであり、スポーツ観戦というものに子どもの頃からビタ一関心がなかった。繰り返すが、テレビが一台しかなかった当時の伊藤家の父権的抑圧下に在っては、野球中継など北斗の拳の視聴を阻む恨みの対象でしかなかった。何が言いたいかというと、原作にはあったはずのクィディッチがなくなったのは大変喜ばしいということで、あんな尺の無駄は3作目の時点でさっさと切ってしまうべきだったのだ。

クィディッチのカットと同様に喜ばしいのが、この作品世界への官僚の本格的な介入だ。管理社会フェチにはこの方向性は大変喜ばしい。前作の魔法省公安部もゲシュタポじみてて大変わくわくしたものだが、今回はなんと言っても魔法省本体の登場である。魔法省はとにかくわくわくした。特に吹き抜けにある魔法大臣ファッジの巨大垂れ幕。あれを見て未来世紀ブラジルの情報省玄関ロビーにでかでかとかかっていた「情報省への協力は市民の義務(Help the Ministry of Information Help You!)」を連想するなというほうがむつかしい。萌え。ハリーが冒頭からいきなり審問会。萌え。まあ審問内容はヌルいが。

というわけで、官僚大好き審問会大好き伊藤としては、この冒頭とルーナたんだけで割りと元取って、あとはクィディッチがなくなったことによる本筋に専念したスムースな展開をそれなりに楽しんだのでした。ご鑑賞の上でなんの役にも立たない特殊な楽しみ方ですみません。

ただ、二の腕ムキムキで、第二次性徴の進行を最早留めようもない(あたりまえだ)セクシーラドクリフくんたちが、ハグリッドの小屋で話しているときだけ、レイアウトによって(ハグリッドと同一画面に収まっていて、しかも両者とも足許がフレーム外のときとか)ふと幼く戻ってしまったように見えるのが驚いた。これは単純に人間は画面の中で比較的にしか大きさを決定できない、というだけの話なのだが。

あと、やおい的にはラストバトル中のシリウスの言い間違えが激萌えポイント。