ハウルの動く城

 なんだこれわ。

 なんか凄い映画を観てしまった。何か狂ったものが映画全体を覆っている。たぶんそれは高橋洋が「自主映画」と呼んだ状態、誰にも望まれず生まれ落ちた企画であるかのような呪われた手触りなのかもしれない。

 何が凄いって、宮崎アニメなのに話がさっぱりわからない。押井の「イノセンス」が話はわかるが何を言ってるんだかわからない映画、とするならさしずめこのハウルは何を言ってるんだかはものすごくわかるんだけど話がどうだったかはさっぱり解らない、という感じ。

 その場その場で展開することに疑問を差し挟んでいる余地はない。適確なレイアウトと、エモーションな台詞と、滑らかな編集によってシーン単位で何が起こっているかは淀みなく、疑問の余地なくわかる。が、物語がどう、と言われるととたんに不明瞭になる。

 この徴候は「千と千尋〜」ですでに表れていた、と言うことはできる。んが、まさかここまであのヤバげな匂いをこのオッサンが全面展開するとは思っていなかったので、ものすごくびっくりした。

 これにくらべれば「イノセンス」はなんとまあ実に愚直に「映画」していたことか。この作品の混乱と「イノセンス」の混乱ははっきり別種のものだ。どちらもマスに望まれないもの、ある種の弱さや欠陥ととられかねないこと、において共通しているだけで、「ハウル〜」の混乱はものすごい歪だ。

 これに似た感触の映画。それは自分でもどうかと思うが「アカルイミライ」や「カリスマ」だ。恐ろしいことだが「ハウル〜」は黒沢清の映画に似ている。「ハウル〜」は出来事の連鎖にすぎない。「ハウル〜」は首尾一貫した「メロドラマ」ではない。登場人物は確かに愛を叫び号泣する。にもかかわらずだ。

 宮崎駿に首尾一貫した物語が書けないことはない。それは彼の今までの作品群を見れば解ることだ。しかし宮崎駿は今回、そうした美しく誠実な構成を組むことを心底どうでもいいと思ったようだ。だって、伏線もはってなければ因果関係を説明しようもとしていないんだもの(伏線が生きてない、とか言ってる人、そもそもこの映画には伏線なんてひとっつもありゃしないんだよ)。これは「失敗」じゃなくて最初からそういうのをとことんやる気がなかったから、脚本上その種の因果や伏線は存在しないのだ。そのエゴに対して拒否反応は出て当然だし、その意味でこれはウエルメイドな傑作では到底ない。この映画は異様であり、どう考えてもマスの方向を向いた映画ではないのだ。この映画は叩かれてしかるべきだ。

 この映画は宮崎アニメですらないのかもしれない。単なる出来事の連鎖。因果も連鎖もない残酷で無情で理不尽な出来事の連鎖。それを通常人々は神話と言い、叙事という。今までの宮崎アニメははっきりと叙情だった。それは偉大なるメロドラマだった。登場人物の感情とともに寄り添った物語が展開して行く、人間から見た世界の有り様だった。が、この映画は180度正反対の方向を向いている。ここで展開される物語(と呼んでもいいのだろうか。もしかしたら物語ですらないのかもしれないのに)は意味を拒む、残酷で人を翻弄する出来事の群れにすぎない。何か大きなことが成し遂げられるわけでもなく、その場その場の出来事に対して人々がそうあるべき反応を返しつつ対立と衝突が発生し、物語が収束する。それは叙事だ。

 この映画の魔法もまた、そのような「出来事」としてある。なんでハウルは溶けるのか?サリマンが出した魔法陣の周りを踊る抽象化された人影のようなものは何か?それは多分、解釈を拒む物理的現実としてそこにあるだけだ。飛行石だったり王蟲だったりといった何かのメタファー、意味や解釈を付与されたいわば現実の影だったりはしない。そうなってしまったもの、そうだったもの。そういう叙事としてこの映画の魔法はあるのだろう。「ハリー・ポッター」の魔法は現実にある何かの劣化コピーに貶められているわけで、それは「我々の現実ある何か」の影でしかない。しかしこの映画の魔法はそうした現実との対応を拒む「現実」として、「出来事」として有無をいわさぬ説得力で描かれる。その説得力は理解不能な出来事として描かれることから生まれる力だ。

 なんでこうなるの?なにがしたかったの?今までの宮崎アニメはその問いに対する答えをきちんと用意していた。それがメロドラマの正しい在り方であり、誠実さだった。しかし、このハウルはメロドラマではない。叙情ではない。それが記号にすぎない以上、現実の「象徴」にすぎない以上、アニメで叙事をやることは本質的に不可能だとぼくは思うが、宮崎駿はそれをやろうとして、しかも今回それをある程度成功させてしまった。「カリスマ」でハンマーが人間の頭を静かに砕いた場面のあの匂い、シンドラー〜でアーモン・ゲートが射殺したユダヤ人のあの物質感、それと同じぼっきらぼうな「ただ存在し、起こる」圧倒的な世界の有り様を、ぼくは「ハウル〜」に見てしまって狼狽したのだ。

 人にお勧めできないタイプの傑作。いや、傑作という言葉はやはり語弊が・・・少なくとも、過去の宮崎作品の焼き直しでは決してない。だってこれは、今のところ宮崎映画の特異点、宮崎映画の奇形なんだもの。今までの宮崎映画とぜんぜん違うことやってるんだもの。

 あと、押井が出てた。絶対あれは押井だろ。押井に対する冗談だろ。