主人公はボンドだった

007/カジノ・ロワイヤル」に続くシリーズ第22弾の監督候補としてマーク・フォースター監督(「ネバーランド」「主人公は僕だった」)、トニー・スコット監督(「マイ・ボディガード」「デジャヴ」)、アレックス・プロヤス監督(「ダークシティ」「アイ,ロボット」)、ジョナサン・モストウ監督(「ブレーキ・ダウン」「ターミネーター3」)の名前が挙がっている模様。その中で、現在最右翼がマーク・フォースター監督と一部で報じられた模様。
http://www.allcinema.net/prog/news.php

さて、DVDを買ってきてチェックした小杉十郎太のクレイグボンドはどうかといえば、いつもの十郎太ボイスで濡れ濡れなものの、映画にマッチしているかといえばどうも、といわざるを得ないところがあり、それはなぜかというと理由は明白で十郎太の濡れ濡れボイスは余裕ぶっこきまくったオッサンの魅力に他ならず、それは確かに世界中の人間が自分のツラ棚上げしてプーチン顔とまで指弾したクレイグの顔の造作自体には合っているのだが、ただしクレイグは顔と声が奇妙に乖離している役者であるというところが罠で、その乖離はヴィゴ・モーテンセンアラゴルンが第一声を発したときのがっかり、すなわち顔に比べて声が軽りーよ、というあの乖離に極めて近いのであって、ただしその乖離が実は「カジノ・ロワイヤル」のボンドを魅力的にしている要因であるというところがかなりひねくれている。

つまり「カジノ・ロワイヤル」のクレイグボンドがそのおっさん顔と軽い声の乖離によって表現していたもの、「渋い顔のチンピラ」という駆け出しボンドに絶妙の要件が、十郎太の余裕綽々の重低音によって完膚なきまでにぶっ潰されるわけである。クレイグには常に良い意味でのチンピラ感がある。「『ミュンヘン』のバカ(C)篠房六郎」と呼ばれた感覚である。これがクレイグの奇妙に軽い声、明らかに顔と釣り合っていない声によって実現されていることに、私は気がついていたのだが、この十郎太による吹き替えボンドはそれが正しかったことを確信させてくれた。つまり十郎太が末端の兵隊を他国の大使館内で追い詰められたあげくぶち殺しておいてから「爆弾男が一人消えれば世界のためです」とか「M」に言い放っても、それがOO成り立てボンドの若気の至りではなく、「十郎太がそう言うんだからそうだろう」と見る側に無用の納得を与えてしまうのである。これはいけない。

声にカリスマがあるのも考え物である、という話は終わりにして、実は「カジノ・ロワイヤル」のアクションって「T3」じゃね?とか密かに思っていた自分としては、モストウの名前が候補に挙がっていたのは意外ではないのだが、同じ事をもう一度やってどうする、という気もし、またモストウのアメリカ人そのものな感じはボンドムービーには合わないような気がすごくする。プロヤスは単純に勘弁して欲しい。あれファンタジーの人でしょ。いやボンドもファンタジーだけどさ。となるとマーク・フォースタートニー・スコットということになるのだけれど、「人間が撮れるから」とかそういうくだらない理由で「チョコレート」とか「ネバーランド」とか撮った人連れてくるのは勘弁して欲しい。てかこの人もファンタジーの人だなあ。次回はファンタジー路線にするつもりなのか。

というか愕然とするのはまだBond22の監督決まってなかったの、ということで、監督選びがグダグダになっているのは前から伝わってきていたけれど、トニスコやモストウが候補に挙がるあたり、相当混迷しているな、という感が強い。こっちの希望は別にして、ふつうにありえないでしょ、この名前出てくるの。手持ち16ミリでチカチカするボンドをバーバラ・ブロッコリマイケル・ウィルソンは許容するのかね。それともカイマーみたいに「P力(ぢから)」で押さえつけることが可能だとでも。機知GUYに刃物じゃないけど、トニスコではボンド映画を破壊しかねんだろう。いやそれはそれで楽しいんだが、「カジノ・ロワイヤル」とて別にシリーズをがらりと軌道修正したというよりは、「お約束」を別の意味に丁寧に読み替えていっている律儀なボンドムービーであって、トニスコに監督させたらそれどころじゃ絶対済まなくなる。あるいはこれは、「カジノ・ロワイヤル」でようやく自分たちのしたいことがフルにできるようになったバーバラ・ブロッコリたちが、ボンド映画を一新するという予兆だと見て良いのかしら。

まあトニスコは絶対引き受けないでしょーけど。でもこのワクワクは「フィンチャーのM:i-III」の企画を聞いた時のワクワクにに近いなあ。トニスコになったらやっぱモニタ多め監視機材多めですかね。やたら人が座っている画面が多いの。