デジャヴ

近年のトニスコは、まるで自ら望んで地雷を踏むかのように、喪われつつあるアメリカ活劇映画の最後の一線を守りつづけ、結果として爽快な陰惨さとでも言うしかない、ねじくれた作風にとり憑かれていたと思う。いまにして思えば「ラスト・ボーイスカウト」あたりからそれははじまっていたのだが(日本語版wikiのフィルモグラフィからはなぜか「リベンジ」が省かれている。哀れ)、ぼくの場合「ザ・ファン」あたりから「なんかこの人おかしくなってきたな」と思い「スパイ・ゲーム」でこの人についていこう、と思ったら、「マイ・ボディガード」でものすごい方向に舵を切り始め、「ドミノ」でえらいとこまで行ってしまったので、この人はもう仕事が来ないんじゃないか、とおせっかいながらえらく心配したものだ。

なんか行き過ぎちゃったかな、てへへ、と本人も反省したのだろうか、まるでいい感じの初号機状態で使徒なんか喰っちゃってヤバイ意味で絶好調、の自分に拘束具を嵌めるかのように、今回トニスコはひさしぶりにカイマー先生と組んで映画を作ったわけだ。そのせいかどうか、「マイ・ボディガード」と「ドミノ」に顕著だった、手持ち手回しカメラによる不安定な露光や2重露光の「チカチカ」をほぼ封じて(しかし、手回しを使用していた形跡はある)、ひさしぶりにストレートな語りで活劇を……とか思ったら別の意味で面白いことになってやんの。

この映画、なににせき立てられているのか、とにかく物語が早い。特に前半30分過ぎたあたりから。細かい説明はガンガン省いて、いいかげんな説明に観客が(てか俺が)納得しきっていないうちに、スクリーンの中のデンゼルはざくざく歩いていくので、スクリーンのこちらがわの我々は「あぅ」とか頭の悪い人のように白痴的なうめき声を出して後をついていくしかない。しかも物語ときたらデタラメにも程があるほどあさっての方向に進んでいく。

なんというか、ものすごい漢らしい詐欺師の口上を聞かされているよう。ものすごいでたらめなことをべらんめえ口調で次々に語り、その直前のエピソードとだけつながっていれば充分だろが、とばかりに後々の整合性を気にせずにドカドカ話が進んでゆく。

デジャブがキーになる、というコンセプトを聴いた瞬間に、なんとなく「イルマーレ」とか「ジャケット」とか「この胸いっぱいの愛を」とか連想してたんだけど、この映画はそういう最近の流行を横目で眺めつつ、しかしまるで「なにジメジメやっとんじゃ」とでもいうように、どっかんどっかん爆発しドカドカ銃を撃ち車はごろごろ盛大に横転する、実に漢らしい映画になってしまった。

この映画の後半はその進行の止まらなさっぷりがほとんどギャグの域にまで達してしまっていて、前半でまきまくった些細なものから派手なものまで大小さまざまな伏線を、ザルで救うようにガシガシ乱暴に回収してゆく。「え?これどうやって回収するの?」と見ているあいだ不安だった要素も豪快に回収されてしまい(なんのことだからわからないと思うので書きますが、爆発した小屋と突っ込んだ救急車のことです)、その手つきの豪快さにぼくは健やかに笑わせてもらった。

そして・・・「スパイ・ゲーム」「マイ・ボディガード」以降とは違って、この映画、見た後に何も残らない。すごく感情の置きどころに困る、微妙な結末(ある意味、主人公が報われなさ過ぎないか(笑))を見せられて、災害が通り過ぎていったかのように、ぼくは呆然として劇場をあとにし、そして友人と爆笑した。エモーションもへったくれもない(と言いつつ、デンゼルを見送るヴァル・キルマーとアダム・ゴールドバーグにはグッときたのだけれど)もう一度言う。これは豪快な詐欺師のような映画だ。その語りはものすごく速い。そしてたぶん、映画とは本来そういうものだったのかもしれない。