魔法少女小夜

というわけで、明日の入院に備えて今日は家に帰って安静しながらテレビ。「BLOOD+」が妙に変身魔法少女じみてきたぞ。変身後はポン刀振り回す魔法少女

「赤い楯」って名前からするに、これ、押井「獣たちの夜」のユダヤロスチャイルド結社路線で行く気なのね。もうひとつの組織は「獣〜」ではわっかりやすく「世界一小さな国」でしたが、今回の米軍を動かしているのは誰なのかな。「獣たち〜」で彼らが吸血鬼狩りする動機って、ものすごい晦渋で説明しにくいんですけど(翼手は「脅威度で言えばインフルエンザよりも低い」にも関わらず狩るのだ。しいて言えば「人が人で在るために」というすげえ絶望的な話なんだけど)、このアニメではどういう方向にするんでしょうね。

いや、私はこのまま行ってほしいんですけどね。陰謀史観フェチなんで。

陰謀史観フェチとは何か。これは私の「管理社会フェチ」「査問会フェチ」と並ぶ、余人には理解されにくい変態性癖のひとつである。

「管理社会フェチ」はファッショを含む「人間の尊厳」剥奪系ディストピア全般に対する萌えであると言える。町中に指導者の顔がたくさん貼られていたり、独裁政党のマーク(記号)がありとあらゆる場所に描かれていたり、やたらめったら同じ旗が濫立していたりすることに興奮をおぼえる。

「査問会フェチ」とは何か。それは会議室で査問と称して人を裁く場面に興奮をおぼえる性癖である。それが濡れ衣だったり組織内権力闘争の結果であったりすると、完璧である。公権力による司法裁判ではないところがポイントで、これは失敗した刑事、あるいは濡れ衣を着せられた刑事が、内務調査班の訊問を受けたりする場面や、民間会社内での権力争いの過程として行われる「ヒアリング」も含まれる。突然入ってきた使者による「耳打ち」などあろうものなら大興奮であり、その結果査問が「休会」などしようものならもう辛抱たまらない。

そして、陰謀史観フェチである。

これは、各種陰謀史観を、上記の管理社会や査問会のようにフィクションの道具立てとして楽しむ嗜好のひとつであるが、うっかり「いや、シオン賢者の議定書が」とか公的空間で口にしようものなら、モノホンのビリーバーと間違われる危険性も孕んでいる、なかなかリスキーな趣味である。「陰謀を信じている人はその陰謀を『真実』だと思っている」という、宗教などと同じ性質から、こうしたメタ的趣味の人間がビリーバーになることはありえないのだが(複数の宗教を信じている人はいない)、それを普通の人に説明するのは難しい。

ユダヤ系の陰謀史観の書籍群は、長い歴史があるぶん物語りとして洗練され、リアリティを導入し過ぎて、脱中心的な人間関係の集積、というあまりダイナミズムを感じない構造が幅を効かせているんですが(大魔王がいなくてつまらん)、冷戦が終わってからこのかた、ポストモダンの陰謀(笑)で、陰謀史観型フィクションはさっぱり人気がないもんで、久々に「Blood+」で秘密結社が見れて満足。しかし「X-File」はよかったなあ(しみじみ)。

しかし、退院後に「ドミノ」速攻で観ておいてよかった。いつ終わるかわからんし。

リージョン1で「絞殺魔」買って観たんですが、異常すぎる分割画面に酔いそうになりました。フライシャー、頭おかしいです。トニスコのチカチカなんてまだまだかわいいもんです。すげえぞ。画面分割のマシンガンだ。マシンガン・スプリット・スクリーン。

あとこの映画、繰り返しマーキュリー・アストロノーツのパレード中継が出てくるんですけど(英語が聞き取れなくて「誰の」パレードかわからんかった)、J・G・バラードのファンとしては、どうしてこうも宇宙飛行士が狂気とセットで扱われるのか、興味があります(未見のブラッティ「トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン」もそうらしいし)。宇宙飛行士って、「英雄」としてのイメージ以外にも、「なんか深淵覗き込んでしまった感」も醸し出してる、ってことなのかな。