孤独とコメンタリー

毎回入院する前は文章書こうとか絵描こう(冬コミとか、あと最近実写でもアニメでもいいから自主映画作りたい欲望がムラムラと)とか思って紙やらノートパソコンやら持っていくのだけれど、いざ抗癌剤が入り始めると、24時間続く吐き気と倦怠感でなにもできず、結局はDVDをノートで観るか、本を読むかして時間を潰すしかなくなる(テレビ、という選択肢は職場が職場なのでうんざりする)。

というわけで今回の入院は、性欲並みに有り余る創作意欲(笑)が抗癌剤によってあっさり潰されたあと、持ち込んだ

そしてなぜか同僚から借りた
ダ・ヴィンチコード(上)」

を読むか、DVDをひたすら見ている感じ。怪奇大家族のコメンタリーとかイノセンスのコメンタリーとかローレライのコメンタリーとか、なぜかハンニバルのコメンタリーとか。
大学生のときは「俺みたいな出来損ないの遺伝子なんて残してたまるけえ」と、まあその歳のスノッブなオタクとしてはふつーの気取りをもってはいたのだけれど、このクリティカルな病に見舞われてからは、人恋しさというか、露骨に孤独に対する耐性が弱くなった(だからと言ってオフ会とかには出たことはないのだけれど)。全く情けない転向ぶりであることよ。

なんでそんなことを考えたかというと、コメンタリー付のDVDばかりをセレクトしたのは、ヒトの声を聴いていたい、ヒトが楽しそうに語らっている様を聴いていたい、という願望を満たすものとして、疑似的に逃避するためではないか、と思ったからだ。

独身者の機械としてのコメンタリー。

武装解除と戦争広告代理店、黒沢清対談がいちばん面白かった「コダール革命」はすでに消化し、あとはダ・ヴィンチだけ。戦争広告代理店はすごい。戦争請負会社なみのインパクトがありました。環境問題(の恣意的なデータマイニング)、軍事請負企業(PMF)、紛争広告業、はこれからいろんなフィクションのネタ元になりそうだなあ。