匂い
この3週間、膝が痛くて痛くてたまらんかった。いろいろな病院に行き、いろいろな診断をされた。やっかいなのははっきりした原因がとんと思い当たらないことで、しいて言えばその前数週間、びっこ引きの脚を無理矢理動かしてウォーキングマシンで歩いていたことぐらいか。てかそれか。
とはいえ、この膝は3年前の術創にとってもちかい。このすぐ近くまでガン細胞がきていたわけで、手術のあとに見せてもらった座骨神経の写真はとっても黒ぐろしていてほんとにこれが神経だったものかいな、って感じだった。座骨神経が16センチほど、太腿の裏側の筋肉まるごとと一緒に写っているが、まるで自分のからだじゃないみたい。肉屋で肉を見ている感じだった。
なわけだから、骨に、膝にかかる体重は当然健常者とは違う。そこを忘れて頑張ってあるいたものだから、無理が出たのだろう。と思いたいのだけれど、やっぱり転位という言葉が頭からはなれず、それはあり得ない、とっても確率が低い、と自分に言い聞かせても、夜眠れないという現実はいかんともし難かったのだった。弱いなあ。
成形外科の外で順番待ちをしていたら、深刻な顔の人が廊下に立っていた。かたわらには医者っぽい人が立っており、親族の方を呼んだ方がよろしいかと、などと言っている。危険な状態でしょうか、とその人がきくと、医者らしき人は頷いた。扉には緊急処置室、と書いてあった。なぜこんな場所が通常の外来の脇に位置しているのか、わからない。改装中らしいので、その関係かもしれない。
診察を受けて、出てきた時、その人は電話をかけているところだった。
あそこで誰かが死につつある。
座薬をケツにつっこむと、痛みが引いて行く。が、どうなのだろう。膝は痛いが、そこから下はどうなのだろう。この足首をねん挫しても、ぼくはその痛みを感じることは出来ない。右足にとって、膝が痛みという感覚的アラートの最終ラインだ。膝から下の事は、ほとんどわからない。
あそこで誰かが、その日死につつあった。
死んだかどうかは、わからない。ぼくはすぐに病院を出て、家に帰ったからだ。MRIをとったものの、やはりアレの主治医である医科歯科で、という話になって、MRIを貸出してもらった。たぶんただの炎症ですよ、と医者はいい、ぼくもはっきり言ってそう思う。転位ではあり得ない。
けれど、ひた、ひた、とそこかしこに足跡を感じる。
祖母が死んだとき。後輩が自殺したとき。愛犬が死んだとき。あのとき感じた匂いが、この数週間膝の痛みとともに、ずっとからだにまとわりついている。
その匂いを、自然として、日常として生きることができる日がくるのだろうか。それは努力して獲得できるものなのだろうか。そうであるなら、努力したいけれど。逃れ難い感覚であるならば、せめて異界でなくそれを日常としたい。生活というフレームに収めたい。
たぶん、ほとんどの人はそれができているのだろう。ぼくはそれを獲得できるだろうか。