相変わらず臥せってます
というわけで熱。吐き気。ゲーリークーパー。万年床とトイレットの往復というミニマルな生活パターンに家の中がやけに広く感じはじめられたらそれはJ・G・バラードの「巨大な空間(『ウォー・フィーバー〜戦争熱』収録)」。って誰もわからんか。家の中で過ごしはじめたら、その主人公の精神的事情により、家がどんどん巨大な空間と化してゆき、家から出る気力がどんどん失せていき、家の中を探検し、というサイコで素敵なお話なんですが。
すげえ余談。バラードって、巨大建築愛好会的な作家だなあ、と思うんですが、と部外者が言ってみる。たんに「これってすげー広い場所なんじゃね〜の?」というだけで話を押していく「未確認宇宙ステーションに関する報告」とか、「大建設(まんまやな)」とか「モビル」とか「終着の浜辺」とか。入手が難しいのが悲しいところではありますが。私も船橋ザウスの解体を見に行って「溺れた巨人 in 船橋」などと言っているので、バラードといえば巨大建築、というのは熱にうなされたいまに始まった連想ではないわけです。
ああ、すげえ余談だ。ヒマだしキモチ悪いし腹いてえし思考が迷走しとる。というわけで今日はもっぱら映画。DVD観てつぶしてました。「U-571」「K-19」と潜水艦大会。しかも手持ちのDVDなので既に観てるやつ。U-571はえらくその筋には評判が悪いが(『デストロイヤーが魚雷一発で大爆発してたまるかっつーの!』などなど)、改めて観るとわたしゃモストウ大好きだしこの人のエンタメの力量は本物だと思ったですよ。とくに観客の安心の限界を超えて投下される機雷が(『あんな近くであんなに爆発したら沈むっっーの!』ああそうですか)すげえいい。「K-19」はひさしぶりに観たけどやっぱり陰気な映画だった。なんというか陰気で哀しくてそれが延々と続く感じ。氷上で遊ぶ乗組員もやっぱり哀しい。洗濯物も哀しい。なんでこんなに陰気な映画なのだ、キャスリン・ビグローってこんな陰気な作家だったか、と不思議に思う(「ハートブルー」が結構好きなのだ、俺)。青山真治がこの映画を誉めてたけど(「男汁出まくり」とか)、どこがいいのかいまだにさっぱりわからん。いや、好きな映画だからこうやってDVD持ってるわけだが、どこがいいのかはいまだにわからんのだ。
と、ここで俺はキャスリン・ビグローの映画が好きなのだということに気がついた。「ストレンジ・デイズ」って俺の魂の映画じゃんか。駄目男を女神が救う話。さよなら、好きだったひと、と未練たらたらだった元カノに区切りをつける話。そんなダウナーな自分とはうらはらに世界は盛り上がって盛り上がって俺様置いてきぼりだけどなんか救われました、ていう心底ダメな話。ああ、これだ。なんていうか、俺は心底キモくて駄目でこれからも救われないないかもしれないけどそこそこどうかなるかもよ、っていう曖昧な希望とともに終わる話。こんな女々しい話を心底マッチョに撮り上げてしまう、そんな繊細でなければできない力強さが、ビグローの力強さが好きなんだ。
と相変わらず熱暴走ぎみ。はじめて「逃亡者」を見る。職場の人間に怒られそうだ。しかしこれ、案外原作をトレスしているんですな。まるっきりオリジナルかと思ってたのに、医者は出てくるしジェラードの役回りはいるし片腕の男もいるし、で。とはいえ、長澤まさみタンのパートが心底話に絡んでこないのはどういうことなんでしょう。短かったし。あと、局内では「今日も揺れてるねー」とネタ化しているカメラ。あれどうにかならんか。長い玉で抜いているわけでもないのに揺れ揺れ。しかも単なる揺れ。手持ちっぽくない温い揺れ。ドキュメンタリータッチに全然なっとらんぞ。画質荒らすとか、情景にライブ感出すとか、望遠で抜くとか、あるいはフラッシュパンやクイックズームでハンディな感じ出すとか、そういう演出的前提が必要だろうが。仮構の現場の段取り、っていうものが。そういうのとワンセットでカメラの揺れはドキュメンタリーっぽさに貢献するのであって、ふつーの撮影機材で揺らしだけ取り出してもなんも機能しないというのがわからんのか。スプリット・スクリーンから見るに「24」を狙っているんだろうけど、「24」見てみろ、屋内じゃあんま揺れてないんだぞ。
うーん、なんか書くものに抑制がきかない。明日にはよくなっているといいんだが。というわけでこれから樋口コメンタリーのついた「ゴジラ対ガイガン」を見る。