それこそが問題だったのです

 ところが、ここまで書いてきたことは、この映画が映画としてどうか、という評価にはまったく繋がらない。

 映画としてのキャシャーン、それは、破綻することも空回りすることも許されなかった、単に「下手な映画」という問題に落ち着いてしまうのだ、なんともショボくもなさけないことに。「リローデッド」のように破綻することも、「イノセンス」のように「映画」にとって忌わしい「映画の人形」になることもできなかった、いびつさが切実さに結晶することを許されなかった「単なる下手」な映画として、この「キャシャーン」はある。
それはそれでいろいろな問題をはらんでいるのだけれど、眠いのでその話はまた明日(明日に続く)