はてなを導入してみる。

 日記、というものからぼくはいかにも縁の遠い人生だった。3年前に癌を患って、あんたいちおー死ぬかもしれんよ、わたしが助けるからんなこたならないけどね、と恩人である先生に言われたときは、自分が結婚もしておらず子供もなく、この世に自分が生きてきたなにかしらのかたちや想いが遺らないことの恐怖、というやつに心底怯えてヤバげなサイコスパイラルに捕われたりもしたのだが、多くは覚悟でなく愚鈍と慣れによってなんとやら、とイノセンスで押井大人も申しておりますように、死の恐怖すら人はあっというまに日常に回収してしまうものなのでございます。5年生存率、という厄介な言葉もありますように、いまだって転移の可能性がないわけじゃございません。というのに、それにすら慣れてしまう。人間の鈍感さ(というか俺の鈍感さだけど)というのは、人間を発狂から救う重要なセーフティなのだと思う訳ですよ。
 そういうわけで、明日をも知れぬ身(文字どおり)に立たされてもなお、日記をつけるという境地には至らなかったわけです(おそろしいことに)。怠惰さが切実さを圧倒した、というほとんどギャグのようなオブローモフ状態。

 で、私はといえば障害者になって映画が1000円で観ることができる!と喜んでいるありさま。愚かさというのはこういう精神的に便利な特典もついてくるので、そう悪いことじゃないとも思うのでありんす。

 日記。
 なんだろう。多分明日はこれを書かないという自信はある。みんな、あんなにたくさん書くことがある日常がうらやましいなあ、とも思う。けれど、ぼくにだって書きたいことが無いわけじゃないし、けれどそれが、なんつーか、「はてな臨界量」ともいえるボリュームに到達していない、という感じだ。はてなに毎日書きたいほど自分のなかに何かがあるわけじゃない。けれど、ときどき思い付いたそれを取りこぼすのももったいないかなあ、と思って、はてなに書きたいほどなにかがあるわけではないけれど、それでもときどきはあるそれを回収するために、はてなには申し訳ないけれど、はてなを使わせてもらうことにした。

 ごめんなさいね、はてなさん。
 ずぼらなユーザでしょうけど。