スチームじゃない

昨日の日記にリンクしてくれたid:win-sch:20081019:1224403158を読んだり、wiki「スチームパンク」の項目を読んだり、復刊された「ディファレンス・エンジン」上巻のオビに書かれた「スチームパンクを生み出した」という記述を読んでいて、どうやら世間では何か重要なことが間違っているらしい、と気がついたのですが、それは何かというと、


ディファレンス・エンジン」はスチームパンクじゃありません。


え?だって蒸気コンピュータの話でしょ?なのになんでスチームパンクじゃないの?スチームパンクじゃなきゃ何なのさ、と思う方がいらっしゃるかも知れません。まあどうでもいいっちゃ心底どうでもいい話なのは自分でも認めますが、それでも一応書いておくと、


ディファレンス・エンジン」はサイバーパンクです。


そもそも、スチームパンクという語はどうして生まれたか。これは在る本の後書きにしっかり書いてありますので確かです。考えたのはK・W・ジーター、ジェイムズ・P・ブレイロック、ティム・パワーズという3人のSF作家です。ジーターと言えばあの肢体切断娼婦やら変態さん大集合のどん底小説「ドクター・アダー」を書いた人ですね。個人的にこの人の最高傑作は「グラス・ハンマー」という作品なのですがまあいいでしょう。とにかくですね、そのひと達がヴィクトリア朝、もしくは19世紀を舞台にした小説を書きました。それぞれ「悪魔の機械」「ホムンクルス」「アヌビスの門」です。この人達は仲良しで(SF作家ってのはつるみやすい人たちなのです)、あるときぐだぐだ話していたら、「世間ではサイバーパンクってのが流行ってるらしーな。それなら十九世紀を舞台にした俺らはさしずめスチームパンクだな、がはは」と冗談を言ったわけです。これが「スチームパンク」なる語のはじまりであり、これは「ディファレンス・エンジン」が書かれるより前です。

つまり最初は冗談で付けられた名前だったわけです。向こうがサイバーならこっちはスチームだ、と。つまり「スチームパンクを生み出した」作品となると、この三人が書いた「悪魔の機械」「ホムンクルス」「アヌビスの門」になるわけです。自分で作ったものに自分でスチームパンクというレッテルを作って貼ったのです。

で、スチームパンクはそう大きな広がりをみせるわけでもなく、別名として「マッド・ヴィクトリアン・ファンタジイ」とも呼ばれたりしていました。そんな中で「サイバーパンクの教祖」ギブスンと「サイバーパンクの書記長」スターリングが合作したのが「ディファレンス・エンジン」なわけで、当然その作品はスチームパンクを横目で見ながら書かれたでしょう。

つまり、サイバーパンク作家が書いたので「ディファレンス・エンジン」はサイバーパンクなのです。

では納得しない人もいるでしょう。サイバーパンク作家が書いたからってスチームパンクじゃないのか、と。しかし、作品を読めば判りますが、「ディファレンス・エンジン」は批評的に明らかにサイバーパンクの系譜に属します。スチームではなくサイバーパンクの代表的作品と言ってもよろしい。それは、スチームパンクが通常関心を寄せないテクノロジーの領域について、明確な批評的視点を以て描かれた小説だからです。

スチームパンク」という語が「マッド・ヴィクトリアン・ファンタジイ」とも呼ばれた、と書いたとおり、スチームパンクそれ自体はファンタジイの領域に接近しています。あとなぜか冒険活劇や蒸気機械へのノスタルジーを伴うところも特徴です。しかし、「ディファレンス・エンジン」における異常発達した蒸気テクノロジーは冒険活劇やノスタルジーに貢献していません。なぜなら、「ディファレンス・エンジン」とは蒸気コンピュータが発達した世界を設定することで、情報化されたヴィクトリア朝を描き出し、サイバーパンク的な視点から産業革命の意味を問い直す作品だからです。このことはスターリング自身が明言しています。

実際、ディファレンス・エンジンに登場する蒸気ガジェットを見てみましょう。蒸気映像(キノトロープ)、蒸気クレジットカード、蒸気ワープロ、そして蒸気コンピュータ。他にもロンドンがビラで覆われていく様を描いたり、蒸気コンピュータによる数値シミュレーションが描かれたり、「ディファレンス・エンジン」は情報革命を経た我々の世界を、産業革命の時代に置き換えて読み直す、という描写が大半を占めています。メディアというものへの関心、コンピュータへの関心、これらは明確にSFとしてのサイバーパンクが取り扱う主題です。さらにサイバーパンクらしくポップサイエンスへの興味も盛り込まれていて、当時注目され始めたカオス理論や恐竜温血説も取りこんでいます。最新科学に対する興味、これも「ある意味で後ろ向きな」スチームパンクにはないものです。

基本的に、「ディファレンス・エンジン」はその根底において現代科学への関心によって成り立っているのです。これが「ディファレンス・エンジン」がスチームパンクではない理由です。多くの「スチームパンク」作品は「冒険活劇」という言葉に代表されるように「古き良き時代」へのノスタルジー、昔のああいう機械っていいよね、の延長線でしかありません。ポップなサイエンスへの関心によって支えられているサイバーパンクとは真逆のものです。そして、ディファレンス・エンジンがどっちを向いているかと言えばもう書くまでもないでしょう。

冗談として生まれた「スチームパンク」という語にスターリングらが刺激されたのは確かでしょう。言うなれば、「ディファレンス・エンジン」はスチームパンクという冗談に対するサイバーパンク側の解答なわけで、スチームパンクそのものではありません(ここらへんがややこしいところなのですが)。ましてスチームパンクの元祖ではありませんし、スチームパンクの代表作でもありません。

だから、「ディファレンス・エンジン」をリスペクトするなら当然、最先端のサイエンスに対する関心や、産業革命と情報化の関係性などを盛り込むべきなのですが・・・。

以上、「蒸気機械が出てくるからといってもスチームパンクとは限らないよ」というお話でした。

ちなみにスターリングには「ミラーグラスのモーツァルト」という歴史改変ものがあり、どっちかっていうとそっちのほうがスチームパンクっぽいですね。