多幸感と無気力の関係

なんかここんとこずっと映画観てるけど、なんか書く気がしない。「クラッシュ」も「要塞警察」も。両方とも別々の意味でいい映画だったんだけど、家に帰って「鴛鴦歌合戦」のDVD垂れ流していると、なんか蒲団に入って市川春代たんのツンデレっぷりにモジモジしながら多幸感に包まれて、「ちぇ」とか「わたし浅井さんなんかなーんでもないワ」とか台詞聴いて萌え萌えしているうちに、もういいや、ああ可愛いなあ、となって寝てしまう。

というわけで今日もシネマヴェーラで「次郎長〜」の「4」と「3」を(仕事終りにタイミングを合わせると、順番が逆になってしまうのだが、まあ初見でもなく話知ってるし、いいだろう、ということで)観たのだけれど、これまた書く気がしない。ひとつ言えば、石松のどもりキャラは長門さんより森繁さんのほうが巧い、と思った。

ちょっとあってシネマヴェーラの受付の女の子(可愛い)と会話できた。ラッキー。まあ、向こうは黒頭巾かぶった妙な男に話し掛けなきゃならなくて嫌だったでしょうが。

この一週間、「鴛鴦歌合戦」「ジャーヘッド」「次郎長三国志東映版)」×4、「アサルト13 要塞警察」「クラッシュ」「次郎長三国志東宝版)」×4、と映画ばっか観ているんですが、どの作品にもとりたてて不満はなく、全ての作品で(程度の差こそあれ)満たされながら映画館を出ているので、そういう状態が続くとなんだか文章化する気力も起こらず、こう集中して映画を見るのも考えものだなあ、と妙な警戒心が起こってきているのですが。映画についての文章って、観た後に印象や記憶が発酵する時間が1、2日必要なのかも。

あまりハイペースで映画を見るのに向いている人間ではないのかもしれないです。満たされ過ぎてしまうので。