ディストピア10傑(続き)

というわけで、イギリス産ディストピアをひとしきりみたあとは、アメリカ産を見ることにする。

イギリス産とアメリカ産のちがいというのはあるのだろうか。うーん、あくまで感触だけれども、イギリスやヨーロッパのディストピアは、「人間性」というものそのものに対する問いかけを含んでいるように思われる。幸福ってなんだろう、とか、そもそも自由ってなんだろう、とか。バージェスの「時計仕掛けのオレンジ」は人を殺し、レイプする腐った精神すら、それでも「人間性」なのだ、と言う。肯定否定は別にして。翻って、アメリカ産のディストピアはある意味わかりやすい。なにせ、自由を脅かすなら政府自身をも倒せと憲法で謳っている国だ。自由そのものはアプリオリな存在であり、それを疑うというようなことは、あまりない。自由は絶対条件であり、それを錦の御旗にして(まあほんとのところは別にあるにしても)この国が戦争までしているのはみなさん御存知の通り。アメリカは「自由」というものにものすごい価値を置いている国だ。

なんかその代表格。こういうクリーン系ディストピアは、実はヨーロッパよりもアメリカに多い気がする。まあ、ゴージャスなセットを建てこむことのできる資本力があるというのが、大きな理由ではあるでしょうけど。ただ、この「THX-1138」、ルーカスがコメンタリーで語っているのだけれど、実は「青年が地方サバービアから出ていくモノ」の一変種でもあるのだ。つまりこれは「アメリカン・グラフティ」からそのまま「スター・ウォーズ」に連なるルーカスの個人的なモチーフを色濃く投影したものだったそうなのだ。

こういうクリーン系、幾何学ディストピアでは、クローネンバーグの

  • クライム・オブ・フューチャー

なんかも綺麗で好きだ。クローネンバーグは「クラッシュ」を撮っているし、「シーバーズ」なんかある意味「ハイ=ライズ」。バラードと相性いい作家だと思う。この人に「殺す」とか「スーパー・カンヌ」とか撮って欲しいんだけどなあ。

ちなみに、ディストピア、という概念そのものがある種のノスタルジーに回収されてしまう中、唯一「いまどきのディストピア」の在り方を提示できているのが「マイノリティ・リポート」の

  • 2054年のワシントンDC

だと思う。圧政でも管理でもなく、人間性の喪失でもなく、RFIDとサービスが結びついた、蜘蛛の巣のようなソフトな管理。「退屈な暗黒郷」としての未来。似たようなことは各種小説や漫画でも行われている(テレビ攻殻なんか方向性としては一緒だ)けれど、それらがあくまで「ありそうな未来」に留まっているのに対して、ありそうでありながらも「ディストピア」として描き出したのはたぶん、「マイノリティ・リポート」ぐらいだろう。

他にもトリアーの「エレメント・オブ・クライム」やブアマンの傑作「ザルドス」、ナチがらみでは「暗殺の森」、なんかも挙げておきたいところだけれど、10選ということで最後にひとつ、

  • メガ・シティ

?メガシティって何ですか、って?ジャッジ・ドレッドに決まってるじゃんか!スタローンの!

「判決・・・死刑!」ダダダダダダダダダ「これにて閉廷!」

これですよ!即決裁判警察!「俺が法だ!俺が法なんだよおおおおお」と自分が裁かれる法廷でわめくスタローン!しかもジャッジの衣装デザインはなんとベルサーチだ!(本当)配給は東宝東和だ!文句あるか!即決裁判権てすげえよな!