アエリータ

というわけで「ソビエト映画回顧展」に行ってきたのだった。目当ては「アエリータ」と「ピルクスの審問」。

「アエリータ」は「ソビエト映画史上初のSF映画」と回顧展のページはあるけれど、厳密にはあんまりSFではない。なぜかというと、これ、舞台がまず制作年より3年前の1921年。新婚の奥さんが無防備(ちょっと思慮が足らなすぎるぞ)で、ダンナもダンナで嫉妬の気があって、そうやってすれ違いがすこうしづつ積み重なって、さらにダンナは長期出張があったり(ソビエトの建設!)、奥さんはダンナが長期出張に出るその日に「ブルジョアのパーティー」に行ってしまったり、もうなんだかひたすら地味かつやるせないドラマが延々と展開する。ただ、原作がトルストイとか冒頭に出るけれど、これはアレクセイ・トルストイさんであって、我々の知っているレフ・トルストイさんではないので、別にトルストイだからやるせないわけではない。しかし、SFだと思って観たら奥さんの無思慮と言うか無防備な行動が逆に萌え萌えしいので、サイレントなのにあまり退屈はしない。新婚夫婦が破綻するドラマがそうやって延々と展開する。

で、厳密にはなんでこれが「あんまりSFではない」かというと、ロシア・アヴァンギャルドなSF部分は、実はサム・ラウリー・システム(主人公が女性だったら「セルマシステム」となる)だったりするのだ。「Ah Ah ,Has anybody seen Lowry? Has anybody seen Sam Lowry?」、とイアン・ホルムが怒鳴るわけではないが、奥さんに浮気の疑いを持って鬱な主人公がフライハイする部分なのである。

火星に社会主義革命が勃発する場面では、鎌を鍛えてそこにハンマーを置くという、本気なんだかギャグなんだかわからない場面が登場し、たぶん当時は大真面目だったのだろうなあ、とは思うのだが、今から見ると10月革命を茶化しているように見えなくもない。ていうか見えてしまう。

オチは「サム」や「セルマ」のようなことにはならないので(ていうかSF否定されてるよ、おい)、これから見る方は御安心のほどを。