沈黙の聖戦

 この映画の主人公は、最後の戦いに赴くとき、自分を愛してくれている女性にこう告げる。

あり得ないと思うが、もし自分が戻らなかった場合、この金で暮らしてくれ・・・」

 あり得ないと思うが

 あり得ないと思うが・・・

 セガールセガールですよみなさん!セガールだから「正直、生きて帰ってくる可能性は低い・・・」なんて言いませんよみなさん!「あり得ないと思うが」ですよみなさん!勝つ気まんまん、というのでもなく淡々とそう言うわけですよ!だってそれは単なる原理だから!

 劇場はヨレたジャケットをつかっけた40オヤジ2人に30代の明らかに呪われた中年そして醜い俺の4人。どう考えてもこの劇場に勝ち組という言葉の居場所はない。まさにセガール映画にふさわしいしょっぱいメンツで、おれは本当にシネコンにいるのか、という実存的な不安に襲われましたが、映画がはじまるとそんなことはどうでもよく、物語はサクサクと気持ちよく進行し、タイに観光に来ていた若い女の子(主人公の娘)は上半身ビキニのままテロリストに捕まったのでその後監禁中の独房でもずっとビキニという超合理的かつ圧倒的正しさで、負けることが原理的に不可能というセガールの特性上、あまりにサクサク進行しすぎてともすれば味気ないものになりがちな物語にお色気という潤いを付け加えております。

 しかも、今回のセガールは足技を使う。蹴りが中に繰り出され、飛びかかってきた(死ぬポーズで飛びかかってくる敵の正しさよ!)敵の腹にヒットする!スタンドインがまるわかりだがそんなことはどうでもいい!だってセガールなのだもの!セガールは勝つにきまっているのだもの!それが本人が演じていようがスタンドインが演じていようが覆し得ない原理なのだもの!あたかも機械が作動するがごとく、あたかも運命の容赦なき進行のごとく、セガールが勝ち進むことはなんびとにも侵し得ない映画的現実なのだもの!

 この映画にいらないものは何一つない。セガールの原理を進行させるためのパーツのみが編まれている。しかし、この映画は「完璧な映画」の息苦しさは皆無だ。というかむしろユルユルだ。AKの設計者カラシニコフは言っていた。戦場でぎっちぎちのパーツからなる銃は役に立たない。どんな環境での使用にも耐える、必要最小限のパーツを、隙間の多い、ユルユルな構造で組み、それでも命中精度がそこそこの銃を目指してあの銃は作られた、と。AKのシンプルさ、それは戦争という目的の中で「原理」だったように、この映画はセガールの原理のために編まれたシンプルな映画だ。

 そんな「原理」であるセガールを苦しめるものは何か・・・別の原理、宇宙の原理だ!唐突に登場するシャーマンの藁人形!スピリッツはセガールの原理を脅かす別の原理であるがゆえに、この映画で唯一セガールをピンチに立たせることのできる存在だ!しかしここでさらに唐突にサイキックバトル勃発!敬けんな仏教徒であるセガールを救うもの・・・それは仏の力だ!タイの老僧うん10人が集団で読経する!原理と原理の衝突!顔に幾重にも悟りの深い皺を刻んだ老僧が、ガチンコサイキックバトル!タイのお坊さんがこんなかっこいい映画観たことないぞ!

 というわけで単なるセガール映画だと思っていたら、クライマックスに挿入されるあまりに唐突なオカルトウォーズに思わず興奮してしまいました。いや、これは不意を付かれた。ユルい映画というのは、こういう思いもよらぬ要素を平然とぶち込んでくるので油断ならん。

 自分はけっこう面白かったんですが(90分しかないし)、単なるセガール映画であることはどうしようもない事実なので、まちがっても誰かと見に行くような映画ではないと思います。