このまえおとなげなく

 読売のアレを引用しているだけの人間に激怒したのは、キャシャーンが、というよりも、「映画を作る」ということ、いや、誰かに何かを伝えたい、という切実な「想い」を嘲笑う行為だったからなのだな、と今になってみると思う。つまり「あいつらは映画の敵だ」という怒りだったのだと。

 まあ、彼らにとって映画というものはどうでもいいことなのだろう。それは当然の話。彼らは悪くない。常識人であるということを罪にはできない。生きているうえで何の役にも立たない、映画や音楽について、肯定にしろ否定にしろ、いちいち誠実な反応を示してはいられない。

 自分が作ったわけでもない、誰かさんの映画に毎週毎日こんなにも依存している、自分のほうがよっぽどおかしいのだ。反省はしないけど、かれらがああいう反応を見せるのも、仕方のないことだ。ほかならぬ自分だって他の誰かにとって大事ななにかをスルーしているに違いないのだから。