わたしのグランマ

正月なのでおばあちゃんに会ってきた。ボケていないわけじゃないし、ヘルパーさんにも来てもらって毎日を過ごしてはいるのだけれど、まだまだ自分で飯を作っているのだから驚きだ。そりゃ、薬を飲み忘れたりもするけれど、そんなもんぼくだって忘れる。自分の食べたご飯のことを忘れたりもするけれど、そんなの時々だし、そもそも忘れるときはうちの母さんとかヘルパーさんとか、人に作ってもらったときだ。自分でやったことは大体覚えているし、そもそもそんなにボケてない。

90なのに。

というわけでぼくのばあちゃんは九〇歳で、つまり20のときは1936年だったわけだ。

子供のころは隣町なのでしょっちゅう行ってたばあちゃん家だけれど、大学に入ってからはそうそう行かなくなった。というわけで、いろいろな話を理解できてそれをそこそこ面白いと思える年頃に、ぼくは学校で映画やら漫画やらアニメやらにかまけて、おばあちゃんに話を聴きに行こうなどとは一瞬も考えなかったわけだ。

この歳になって、「そろそろ危ないかも」と考えるようになってから(とはいえ、いまだに一日のシメを晩酌で、アサヒの瓶をまる一本空ける90歳なので、まるで危ない気はしない。さすがに中瓶はきつくなったので小瓶にしたことを嘆いていた。「危ないかも」と感覚を抱いたのははあくまで単純に常識から考えて、という話だ)、話を聞くようになった。とはいえ、戦争の話というのは誰も似たり寄ったりで、ばあちゃんも例外ではない。大切なことではあるけれど。

今回聞かせてくれたのは、そんな似たり寄ったりな戦争の話ではなく(まあ、ばあちゃんはそもそも戦争の話はそんなにしない)、戦前の話だった。おばあちゃんは樺太に旅行に行った事があるというのだ。

「戦争の前?」
「戦争の前だねえ」
「いくつのとき?」
「わたしかい?二十歳ちょうどだったねえ」
「誰といったの?家族で?」
「いんや、わたしひとり」

ハタチの女性がカバンひとつぶら下げて東京から樺太へ一人旅。いまだって女性の一人旅はあまりないでしょうが、おばあちゃんはそれなりに箱入りだったらしいし、じゃあオテンバお嬢さんてわけですか。お嬢さんの東京〜樺太一人旅。なにその萌えシチュエーション。

お姉さんは家族の反対にあった男性と駆け落ち同然に結婚して樺太へ。おばあちゃんはそのお姉さんに会いに行くためにひとりで旅立ったのだそうだ(おばあちゃんの両親、というかぼくの曽祖父や曾祖母は当然結婚に納得してないわけだし)。なんだかぴえろあたりが制作でハウス劇場枠でやってたとかいわれても納得しそうだ。

「どのくらいかかったの」
「よく覚えてないけど、札幌で一泊したのは覚えてるね」
樺太はどんな場所だった?」
「寂しいとこだったねえ、あそこは」
「戦争の前でしょ?日本人ばかり?」
「そうね、日本人ばかり。軍人さんがいろんなとこでやたらひそひそ話してたのを覚えてるよ」

というわけで樺太といえば国境だ。ソ連と日本の国境、があった場所だ。かつて日本の陸に国境があった時代。

「国境はどうだったの?」
「国境のところだけ森が切り開かれててねえ、向こう側にボーローがあってソ連の兵隊さんがこっちを見てたよ」
「ボーロー……ああ、望楼ね」
「わたしが国境の近くに行ったら、若い娘さんがやってきた、って望楼から降りてきて国境まで近づいて見に来てたよ」
「国境ってどうなってたの。柵とか塀とかあったの?」
「溝、っていうか濠みたいなのが掘ってあって、簡単な木の橋がかけてあったねえ」

なんだかオルタネート・ヒストリーものを読んでる気分になってきた。実際の過去なのに。

90だけあって、耳の遠さは如何ともしがたい(それでもかなり聴き取れているようなので、あまり問題はないけれど)ので、大声で話さねばならず、しかも話したセンテンスすべてが聞き取れているようではないようなので、細かい質問ができないのがもどかしいところ。覚えているかどうかわからないけれど、あの調子だとたぶんかなり細部を憶えているはずだと思う。そこに樺太という「異世界」が広がっている、という感じをぼくは覚えた。もうちょっと前に聴いていれば、樺太にある町々のディテールとか、樺太の汽車とかについていろいろ聞けたのになあ、と思うと残念でたまらない。

何かが面白いと思える頃、というのはいつも遅すぎる。