トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン

 というわけで、ピーター・ブラッティの「トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン」を、新宿TSUTAYAで借りた。

 名作「エクソシスト3」のこともあるし、タイトルがタイトルだし、向こうのパッケージがものすごいいい感じに狂っているので(バラードの小説かと思ったぞ)、てっきりホラーかサイコサスペンスだとばかり思っていましたが、

 なんていうか、分類不能の怪作でした。

 霧にむせぶ古城があり、そこには精神を病んだ者たちが収容されている。という設定はそれだけならば充分怪奇、ゴシックな感じだ。ラストには死体をお姫様だっこして階段をおりてくる、なんて悲劇映画の王道みたいなカットもあって、ブラッティの怪奇映画へのリスペクトはかなりのものがあるように見える。

 しかし、ここに収容されているのは、ベトナム戦争で精神を壊された兵士だったり、打ち上げ寸前に発狂した宇宙飛行士だったりする(オープニングの「月」はすばらしく狂ったイメージで、そういうところからもホラーだとばかり思ったのだけれど)。ここでは、軍による精神治療の実験が行われているようなのだ。

 古城とベトナム戦争

 こうして、背景となる映画っぽい世界(ゴシック趣味、サイコパス)と、狂気に関する哲学的かつ宗教的な問答が、たがいに交わらぬまま、映画はそのことを気にするふうでもなく、淡々と進行していく。たしかに主人公である精神科医ステイシー・キーチ)は、穏やかさの中にどこかヤバい雰囲気を耐えずまとっており、殺人の一つや二つ起きてもおかしくない雰囲気を醸し出しているのだけれど、誰も死なない。

 ただし、この物語をブラッティの監督作品と考えた場合、これは「エクソシスト2」である、ということは確かにできる。ホラーでないにも関わらず。

 ここで問われるのは、善とは何か、悪とは何か、信仰とは何か、という形而上的な主題だったりするのだが、それを問答でなくイメージとしてきっちり見せてくれるあたり、さすがブラッティだというしかない。これをもうひとつの「エクソシスト2」として、フリードキンの最初のやつと、ブラッティ自身による「3」でサンドイッチすると、かなりすっきりとしたラインが一本通る(とはいっても、ブアマンによる混沌を極めた「2」も好きなんだけどね)。

エクソシスト」と「エクソシスト3」をつなぐミッシングリンクとして、この映画を見るのもなかなか楽しいかもしれない。なかなかに泣かせる、地味にいい映画です。