しかし

メイドカフェ論争や、「喫煙、アディクト、オタク」という文章の「オタクと喫煙者は違う」というコメントを見てちょっと意外に思った。オタクってのはマイノリティだしフリークスだしディスコミュニケーションだけれども、その「被害者意識を楽しむもの(あるいは嗜むもの)」だと思っていた。ぼくを含め、オタクや毒男に自嘲ネタが多いのは、そうしたオタクのスタイルの表れじゃないか、と。あくまでそうした生を甘受し、逆に自嘲的に楽しんでやろう、道化とはいわずとも、冗談として使ってやろう、という人々なのではないか、と(すくなくとも、ぼくはそうだ)。

しかし、某ネコ問題とかを見るに、どうやら本気で被害者意識を「発動させている」人たちがたくさんいるようだ、ということにはじめて気がついた。明らかに「嗜み」の域を越えた、彼らがよく蔑んで呼ぶ「プロ市民」と大差ないオタクの存在が。

数が増えれば、声も大きくなり、自分が世界になった気がする、というよくあるエゴの肥大化なのかしら。