インディ・ジョーンズ 神々の都

以下の内容は、映画「ミスト」に関するネタバレを含んでおります。




君は弾丸を四発持っている。

  • アナーキズム
    • したいようにしろ
  • 民主主義
    • リーダーを投票で決め、その人間が執行する
  • 資本主義
    • 弾丸をオークションにかける
  • 独裁主義
    • 全員に何とか自決する方法を見つけるよう言ってから、自分は弾丸でさっさと逝く
  • 原理主義
  • ダラボン主義
    • 映画見ろ。ダラボン鬼。

さて、冗談はここまでにして

http://www.slideshare.net/Zeitgeist/indiana-jones-and-the-city-of-the-gods-frank-darabont-script/
(とか書いたらあっという間にリンク切れしてやんの。5Mのpdfが手元にはあるんだが、どうしたもんか。はてなでこういうファイルをシェアするスペースってないのかな)

フランク・ダラボンによる「インディ・ジョーンズ/シティ・オブ・ザ・ゴッド」の脚本、といわれているもの。本物かどうかは不明。

各雑誌によるとナチ残党とある古代遺跡を巡って争う話らしい、けれど、冒頭はネバダ砂漠の「アトミック・カフェ」というシケたダイナーに、ホットロッドをふかす若者を煙たがるインディと、その友人のロシア人ユーリ(これがリスカ王国ではマックになったんだろうね)がやってくるところからスタート。場所的にはあんまかわらんよな。

スピルバーグ、フォードの絶賛を受けたにも関わらず「UFO!UFOやりたい!」というルーカスの理不尽な天然っぷりを、「魔宮の伝説」のときの「恐竜!恐竜出したい!」を跳ね返したようにはスピルバーグもフォードも対応する気力がなく、「なんちゅー無駄な時間だったのか」とダラボンが公式に怒った、その「無駄な時間」である努力の結晶の脚本「とおぼしき」もの。

私は、ジャージャービンクス騒動を観るに、ルーカスというのは実は相当面白い天然の人なのではないかと疑っている。

というわけで、ダラボンがどんなホンを書いたのか、これから読むことにする。

ちなみに、まだ本編のリスカ王国は観ていない。

野田さんの思いで

だいぶ時期をはずしてしまったけれど、こちらにも書いておこうと思う。

私がWEB屋として業務委託(まあ、派遣だ)を受けている会社の上司は、お父様が電通のかなり、かなり偉い人だった。上司の方は軍ヲタで、年は離れていたが「軍事研究」とか会社に持ってきて「今度の陸自の戦車、ロールアウトしたらしいけど、どーすか」「いやー、なんかアタッチメントつける気満々のフックがたくさんあるんしょ?」などと職場のほぼだれも参加してくれない会話を楽しんでいた。エバケンをはじめてテレビに呼んだのはその上司なのだそうだ。その上司の方のお父様のお葬式が本願寺であったとき、壮絶な名前が列挙されたエスタブ花輪クラスターに眩暈を覚えつつ、そのなかに「野田昌宏」という名前を見つけ、そのときぼくは、こっちの業界の人、としての大元帥をリアルに意識したのだった。

サイバーパンクからSFに入ったので、最初、SFを読む人間としては野田さんのことはまったく知らなかったのだ。では、どこで最初に野田さんの本に触れたかというと、

ゲームマスターって楽しそうだな、やってみようかな、どうしようかな、と願望と不安に頭を悩ませていた頃、何かの本で(たぶん、黒田幸弘さんの本のどれかだったような)、参考図書に「スペースオペラの書き方」が挙げられていた。そういうわけで、ぼくは「スペースオペラ〜」を買ってきて、RPGのシナリオを見よう見まねで書いてみた。それがプレイヤーに好評だったかどうかは、まったく覚えていない。

初GMとして、初めて(シナリオという形で)自分が作った物語的なものを他者(友達だけど)に見せる上で、ぼくは野田さんの本のお世話になったのでした。

ぼくは「冥福」という言葉はなんかしっくりこない。冥土があるとは思っていないというのがあるし、慣用句としても意味がなさ過ぎる。たぶん、ぼくはこれまで日記を書いてきて、誰かが死んだときには「冥福」という言葉は使っていないはずだ。

メタルギア」のノベライズで書いたのは、そういうことだ。人が死んだとき、それを悼みとともに思い返すとき、ぼくらはどんな言葉を口にすればいいんだろう。ぼくはいままで、ずっとこの言葉を使ってきた。

ありがとうございました。

あなたの物語は、今の私の一部を確実に成しています、と。
あなたの言葉は、今の私の一部を確実に縁取っています、と。
かつてあなたの言葉が真実だと思った時期もあり、いまはその頃と考え方も変わってしまったけれど、しかしあなたの用意した道を迂回してここにたどり着けたことはやたり、幸福だったんです、と。

たぶん、これに神秘や神を付け足せば、宗教になるのだろう。
でもぼくは今のところ自分の死に怯える無神論者だから、天国も冥土も、故人に対する態度としては誠実じゃない。

だから、ありがとう、という。

あなたの物語を、ありがとう。
あなたの批評を、あなたの漫画を、
あなたの絵を、あなたのblogを。

ぼくは、ご冥福を、というよりは、「ありがとうございました」と送り出すのが、自分にはしっくりくるのだ。どんな死者でも。自分に「物語」を授けてくれた人に対して。

というわけで、野田様、どうもありがとうございました。
一人の人間が、初めて誰かに物語を、フィクションを語ろうとするその場所に、あなたの本はありました。