「この映画ではいかなる動物も傷つけられていません」
この3日、フルに完徹。仕事と原稿の締め切りで。というか、仕事忙しすぎてこの一ヶ月映画館に行ってないというひさびさの異常事態。
やっとこさ、土曜日に原稿を上げたので、ぐっすり寝て、ひさびさに映画を見に行ってきた。
キングコングは恋愛映画だという。クリスマスに恋愛映画。いくらピーター・ジャクソンの新作でも、そういう映画とあってはツラすぎる。なにが恋愛映画だ。毛唐の新興宗教の教祖の誕生日がそんなにいいか。そんなに貴様等幸せか。そんなにホテル予約したいか。しっぽり八兵衛か。
というわけで(どういうわけだ)、公開して間もないキング・コングはやめにして、ハリー・ポッターとロード・オブ・ウォーを見てきた。
- ロンの声変りにびびる。
- というかロンもハリーも腕や背中が年相応のティーンエイジャーの筋肉の付き方になっていて、なんか見てはいけないものをみてしまったような無駄にセクシャルな匂いというかぶっちゃけホモ臭が全編に漂う
- なのでハリーの入浴シーンが女子向けのサービスシーンにしか見えず、ラドクリフ君のかなり逞しい肌が水に濡れているとこれが児童文学原作という事実がどっかにすっとんでいる気がしてならない
- というかこのシーンの眼鏡幽霊っ娘萌え
- ハーマイオニーも成長している上に演技がクドくなっている
- 達者というよりもクドい
- オクラホマミキサーに辛い思い出しかないぼくにはダンパで誘う女子がいないというシーンは辛すぎて正視できなかった
- ていうか恋愛映画はゴメンというのでキングコングを避けてこっちに来たのになんでハリポタで辛い思いをしなければならんのだ
- 退屈しているインド人少女も辛くて耐えられない
- 「私を一番に誘うことね」とロンに吐き捨てて泣き崩れるハーマイオニーだが、その発言の意図がいまひとつ明確でないうえに、そのあと恋愛模様はフォローなしのまま次政権の政治課題として先送りにされるので、うやむや感がたまらなく残る
- 「ハーマイオニーは誰が好きなんだクソ」という感情は、フィクションに対する関心としては中学生レベルであり実際中学校以来小説でも映画でも感じたことはなかったのだが、プライベートでもこの映画の中でもいろいろとダメージが蓄積されていたので思いっきり気になりまくってしょうがない
- こんな子供映画でダメージを受けるとは思わず動揺する
- ダンブルドアが「頭を整理する」のがものすごいイーガンチックなのだが、それに対する実存的疑問がまるでないのである意味イーガンよりもラディカルかも知れん
- ちなみに「頭を整理する」ダンブルドアがものすごく退廃的に見える。
- 溺死のイメージが唐突に登場してびびる。
- なんだか試練というには仕掛けがいろいろ倫理的にヤバいような気がするのだが。
- というか、だれが彼らを水中にいれたんだ。
- 溺死は生理的にダメなのでまた動揺する。「リーサル・ウェポン2」のパッツィ・ケンジットがいまだにトラウマ。
- 魔法省の裁判がものすごい一方的で強権的なので萌える。魔法使いの世界というのは、実は高度管理社会で特高が跋扈するような世界なのではあるまいか
- そういえば、冒頭のワールカップの焼け野原に出てきた公安っぽい魔法杖の連中も萌え
- ヴォルデモートの再生プロセスに萌える。鳥の胎児みたいな。「天たま」思い出したよ。なんとなく。
- レイフ・ファインズがすごく楽しそうだ。
- クレジットの最後に「No dragons were harmed in the making of this movie.」と書いてあって笑う。
ロード・オブ・ウォーについてはまた明日。これ傑作。「ファイト・クラブ」もそうだけど、一人称ナレーション映画って、なんかぼくの生理にあってるんだよね。