持衰

某社某さんと打ち合わせをしたときに出た話。

わたしが入院しているときに限って世間では大事が起こる。

  • 中学の時、正月に喘息で呼吸が止まり、ICUに入れられて、やっと退院したら街がやたら静かで、帰ってから前日に昭和天皇崩御したことを知った。
  • いまわたしが付き合っている病のそもそものはじまりのとき、大手術を終えて入院しているときに、世界貿易センタービルに旅客機が突っこんだ。
  • わたしが薬を入れるために入院しているとき、いつのまにか安倍さんがやめていて、首相が福田さんになっていた。
  • そしてこの前には、わたしが入院しているあいだに、秋葉原が大変なことになっていた。

そこから某さんと出した結論は、

おれはある種の持衰なのではないか

ということだった。

要するに、

  • 退院している間は世間の禍をたっぷり吸収するので、世界は平和である。
  • その禍がたまって病になり、入院しておれ様の持衰としての機能が失われると、とたんに大事件が起こるのである。

そこから何故か話は本格的な企画の話になり、現代に於いては、我々が目指している読み手である子供らは、それこそ持衰のように時代の禍を「引き受ける」ことしかできない、困難な世界に生きているのではないか、という至極まじめな話になり、いや、エヴァも実際には持衰の話だ、ガンダムと違って人柱的性格の強いエヴァは「持衰もの(新ジャンル)」である、使徒という正体不明で理不尽な禍を引き受ける持衰としてシンジはいるのである、という展開を見せ、果てはそんな子供たちに希望を与える小説として「持衰くん」が立ち上がり掛けている。要するに、決断主義がどうこう言われているけれど、決断がなければ抑も誰も死ななくて済んだとも言えるわけで、秋葉原の彼は決断してしまったわけだ、という話になり、現代の子供たちに語るべき物語は決断とか小さな共同体とかそういう大きな話ではなく、要するに「向き合う」方法であるべきなのではないか、という結論に達し、これでようやく「持衰くん」という物語を語る思想的準備が整ったわけだが、なんでここまでアホみたいなおれの病気ジンクスでシリアスにアホな方向で盛り上がれたのか、今以てそのテンションの出所は不明である。

まあ、多分これもストレスから来る一時的な躁状態だと思われ。