ホログラムという妄想
赤瀬川原平が参賀に行って天皇の手相を見てきた、という冗談がある。たしか藤森照信さんが書いてたんだったか。
というわけで、友人と皇居に行ってきた。深い意味はない。どうせ初詣に行くのだったら、一回ぐらいラスボスに行っておいたほうがいいだろう、という程度の短絡だ。ちなみに私の発案ではない。私は一般参賀ははじめてだ。
旗を振っている自分はちょっと想像できなかったので、配っていた日の丸はもらわなかった。ライブでアッパーになっているというならともかく、この冷静な状態で旗を振るのはちょっと難しいと思う。政治的信条などではぜんぜんなくて、単にメンタリティの問題であり、繰り返すけれど深い意味はない。
というわけで、天皇陛下を見てきた。こういうのでも「拝謁」とか言っていいのだろうか。なんか拝謁と言うには遠すぎて。
熱心なファン(?)はすでに前方を陣取っていて、ものすごい盛り上がっているようだ。早くから来て場所取りをしているらしい。なんだか有名なアーチストのライブみたいだ。皇居の外に出た時、物販のテントがあるところもなんとなく外タレのライブを連想させる。ちなみに皇室カレンダーなるものが売っていた。あれを壁にかけるのか。御真影の時代を思うとなんだか可笑しい。
あの防弾ガラスのブースの、箱型の形状とやや緑がかったガラスを見ると「ホログラムの陛下が映っているのでは」という妄想から逃れられない。ガラスの箱に偉い人、といえば映画やアニメではホログラムと相場が決まっているからだ。
あと深い意味はないが、こうして陛下が防弾ガラスの向こうにいるのを見ていると、なんとなくラスボスを目の前にして阻まれた主人公、の気分が沸き起こってきて仕方がない。ほら、あるでしょう、多くの仲間を犠牲にして、やっと辿り着いたラスボス前。しかし主人公が撃ってみるとホログラフだったりあるいは見えないバリヤーがあったりして挫かれる、ってシチュエーション。ガラスの向こうで微笑むラスボスの人。あれの気分ね。深い意味はないけど(しつこい)。