王猿

  • 家から出るのが怖い。
  • 女の子と話すのが苦手。好きな子にオタク話をしてドン引きされたことがある。
  • 最近「アキバ系」とか言ってテレビ番組に登場するオタク。社会の興味本位の見世物にされているようで辛い。社会的珍獣扱いじゃないか。
  • 勇気を出して好きな子に告ったことがあるけれど、彼女はオタクであるぼくよりもパンピーを選んでしまった。

そんなあなたに朗報です!
気にしない!

だってあなたは……

猿なのですから!

だらしない映画だ。娯楽映画にあるまじき3時間半という上映時間もそうだが、そこにこめられた幻想がだらしなさすぎる。何がだらしないかというと、この映画はボンクラ妄想というか、非モテ・オタクの幻想に満ちているというか、要するに「マトリックス」や「シン・シティ」と大差ない(ただ、そこはそれ、PJなので泣きが入る)幻想を、3時間の長きに渡って垂れ流しているということだ。

それに気が付いたのが、上映が終わってからで、気が付くとぼくはナオミ・ワッツの前歯しか見ていなかった。半開きの唇から覗く、ちょっと突き出た前歯が恐ろしいほど可愛すぎて、まるでミサイルシーカーの赤外線画像追尾のように、画面の中で白いその一点をぼくの眼球は倦むことなく追尾しつづけ、終わってみたらぼくはナオミ・ワッツしか見ていなかったということに気が付き、そこで激しい自己嫌悪に陥ったわけだ。

こんなのまるで……黒人ならぬボンクラのエクスプロイテーションじゃないかっ……。

ぶっちゃけ、ハーレクインなのだ。男の非モテをターゲットとした。土人に隔離されたキング・コング。彼は髑髏島で孤独である。つまりヒッキーである。言語の疎通ができないというのも、オタクと健常者の間に横たわる言語領域のすれ違い、ディスコミュニケーションを表しているのである。

そんなコングが愛する女性を守って、惚れられて、社会に興味本位の見せ物にされ、そして最後に彼女はやっぱりパンピーのほうを選びとり、彼女のために命はって死んでいくのである。

だらしない。こんなに男の幻想を、オタクの幻想を、だらしなく3時間も垂れ流した映画があっただろうか。「電車男」はオタクの幻想ではない。あれは下位存在としてのオタクの「アガり」として一般性にたどり着く話でしかない。翻って「キング・コング」はまごうかたなきオタクの幻想だ。

「そのままのキミでいいんだヨ」という少女漫画のような幻想をいま、もっとも切実に必要としているのがオタクだとしたら、「キング・コング」はまさにそれである。「そのままのキミで死ね!」という甘美な幻想を肯定する映画である。

いままでにもそういう映画はもちろん、あった。「会社ではボンクラだけれども実は出来るSE君の話=マトリックス」とかがそうだ。

ナオミ・ワッツはそういう意味では最強に近い人選と言えよう。前歯が。