地獄くん

邪悪。

宇宙の深遠に、それは存在する。その目覚めは世界の終焉を意味する。あらゆる既知宇宙に邪悪がまき散らされ、そこからは誰も逃れることはできないだろう。

名状し難き邪悪に、太古の人々はこう呼んだ。

オグドル・ヤハド、と。

 大戦の趨勢は連合国に傾いていた。ナチスドイツと連合軍の闘い。当初はヨーロッパを制したヒトラーの軍勢だったが、ブリッツクリークの勢いも今はなく、44年6月、アメリカ、イギリス、その他の軍勢からなる連合国軍はノルマンディーに上陸した。8月にはドイツ軍の手からパリが解放され、この大戦の行く先は誰にとっても明らかなように見えた。

 しかし、ヒトラーは、ナチスは起死回生の手段を手中に収めていた。上流階級に多くの会員を持ったオカルト団体・トゥーレ協会。その政治セクトとして発生したのがほかならぬナチス党の前身、ドイツ労働者党だった。そして44年10月9日、ナチス・ドイツの特殊部隊がスコットランドの朽ちた教会に、巨大な装置を据え付けていた。その装置を操る者の名はグレゴリー=イェフィモヴィッチ=ラスプーチン。ロシアはニコライ王朝に取り入って放蕩の限りを尽くし、反対派に暗殺されたはずの怪僧だった。

 そして、その装置が起動しはじめた。電撃が走り、空間が引き裂かれる。そこに開いた「ポータル」は、宇宙の深淵のとある領域とリンクしていた。真の邪悪、邪悪をまき散らすもの、邪神オグドル・ヤハドの封印された領域へと。

 しかし、連合軍もまた、ナチス侵入の情報を掴んでいた。ルーズベルト大統領の超常現象問題担当大統領補佐官、トレバー・「ブルーム」・ブルッテンホルム博士とアメリカ軍のコマンドゥ部隊が、ナチスの儀式を急襲した。トゥーレ協会現会長にしてヒトラーのトップ暗殺者、カール・ルプレクト・クロエネンの凄まじい身体能力により、アメリカ軍は多くの犠牲者を出したものの、結局ラスプーチンは自らが開いたポータルに、異界の門に呑み込まれてしまった。邪神の降臨は未然に防がれた・・・・はずだった。

 しかし、領域は開いていた。ほんの数分ではあっても。

 そこからこちらの次元に、漏れ出てきたものがあった。

 邪悪のかけら、混沌を呼び出す片鱗が。

 教会の片隅に、それはいた。まるでこちらの世界に怯えているように、ちいさくちいさくうずくまっていた。実際、それはちいさかった。それは子供だった。邪悪の逃れ難い刻印であるかのようにその身は赤く、人でないことを刻み付けられたかのように角と尻尾を持ち・・・しかし、それは子供だった。それを殺すことは、だれにもできなかった。

 こうしてブルーム教授は、望まれない子供の、予期せぬ父親となった。

 彼は名づけられた・・・地獄の子供、ヘルボーイ、と。

 そして21世紀初頭。つまり現代。

 ジョン・マイヤーズはルーキーのFBI捜査官。彼が異動を命ぜられて向かったのは、およそ政府機関らしくない、郊外の奇妙な建物だった。この日から自分の職場となる世界、しかし地上の建物部分はフェイクだった。巨大なリフトで地下の秘密基地へと導かれたマイヤーズ・・・そこで彼が目にしたものは、英語を喋る半魚人だった。

 いったいこのけったいな空間は何なのだ。困惑する彼の前に、年老いた男が現れた。彼こそがこの機関、超常現象調査防衛局(BPRD)創設者、トレバー・ブルーム教授だった。

 ヒトラーはオカルトの力によってユーロを制した。38年、ヒトラーは「ロンギヌスの槍」を手に入れた。キリストの磔、その今際に脇腹を突いたとされる槍。その聖遺物の力が導くまま、ヒトラーはヨーロッパの全土をわがものにしていったのだった。43年、ルーズベルトは「このやりくち」への反撃を決意した。若きオカルトの権威・ブルーム教授のもと、超常現象調査局は設立された。闇の世界、オカルトの領域における戦いは長きに渡り・・・1958年、ヒトラーの「ほんとうの」死によって終りを告げた。ドイツが降伏してから、じつに13年後のことだった。

 その後も超常現象調査防衛局の活動は続いた・・・人知れぬ領域で、こちらの世界に「とびだしてくる」闇を「ひっこめる」闘いの最前衛として。

 ヘルボーイ。トレバー・ブルーム博士を父として育った魔界の子供。

 かれこそがその戦いの頼りだった。

 ひさしぶりに長えあらすじ書いた。てか書きたくなった。

 アメリカ映画にしては(といっちゃ失礼だけど)オタク向けのネタが満載。ナチとオカルト、といやインディ・ジョーンズが有名ですが、まあそうでなくとも結構ポピュラーなネタではあります。「現代史の影で展開したオカルト戦争」というノリは、我々オタクにとっては馴染み深いネタでありましょう。荒俣さんの「帝都物語」とか大塚英志の「木島日記」「北神伝綺」。現代の闇で、というノリならとり・みきの「石神伝説」や星野之宣「宗像教授伝奇考」などなど、この種の「歴史・あるいは国家(に代表される『現実』)の影にあるオカルト」というのは日本では大人気のジャンルであります。映画で言うと「ガメラ3」がその手のネタを使っておりましたね(「日本の根っこにつながる」エージェントが怪獣と戦う、という話だからなあ)。

 この映画はそうしたもののいわば欧米版、ということで、トゥーレ協会やらラスプーチンやらロンギヌスの槍やらツングースカ隕石(「トゥングスカ」って字幕はないでしょう〜林完治さん〜)やらといったネタをエッセンスとして用いた、ちょっと毛色の違うアメコミ映画です。

 ・・・とか説明的に書いてるけど、俺、原作ファンなんだよな。

 というわけでいろいろ文句はある。原作を過剰に期待していくと絶対裏切られる。まず、ヘルボーイのキャラの立たせ方が全然違う。原作のヘルボーイはまず、恋なんかしない。映画では思いっきり思春期なある意味わがまま中坊として描かれているヘルボーイだけど、原作のヘルボーイは(ぶつくさ愚痴垂れる点はいっしょなものの)「俺は俺だ」と自分の生き方を守り、しかし仕事はきっちり果たし、義理人情に篤く、仲間を大事にしつつそれがちっとも嫌みじゃない、ナイスガイだ。原作ではヘルボーイは魔界の誘惑に屈したりしない。「俺の人生だ、やりたいようにやらせてもらわあ」といって彼は自分の角を、魔界の王子の証たるその角を折る。
 しかし映画のヘルボーイは迷いまくる。彼は恋に悩む。彼は周囲に多大な迷惑をかける。映画のヘルボーイはかなり不完全な、過剰に「人間的」なキャラとして描かれている。

 だから、この映画は当然ながら「原作とは別物」としてみたほうがいい。そう思って見れば、これはかなり楽しい、まじめにつくられた映画だし、ネタのはさみかたも気が効いている。実際のオカルトネタを随所にはさみつつ、実は根っこにあるのはフィクションネタ──ラブクラフト神話だったりする。
 こういう「ディテールの埋め方」が、娯楽映画としては嫌みにならない程度ではあるけれど、しっかり「わかっている」感じで行われていて、そういうものに馴染み深い日本のオタクである自分はそれがけっこう楽しかった。逆に言えば、そういうネタがなんのことやらな人には、そういう楽しみは得られないということ。

 たとえば、序盤にこういう場面がある。ブルーム教授が新入りの捜査官に超常現象調査局のことを説明している場面だ。「・・・そして、オカルトの戦いは1953年、ヒトラーの死とともに終りを告げた」すると新人が言う「ヒトラーが死んだのは1945年ですよ?」するとブルーム教授は微笑み「そうかね?」と言うのだ。
 こういうのは本筋とはまったく関係ないのだけど、ぼくはこういう台詞を見ると嬉しくなってしまう。「ぼくらの知らない、歴史の闇の戦い」という、ぼくらボンクラなオタクには馴染み深いネタが広がるからだ。

 でもそういうのはやっぱり枝葉末節で、映画としてはどうよ、ということになるのだけど、誰もが書いているとおり、後半、モスクワに行くまではすごくいい。とくに、邪神が目覚めた世界のヴィジョン、黙示録の風景ははっきりいって痺れた。壮大すぎてなんだかわかんない存在、というのがチラチラと見えるのは気持ちがいいものだ(「失われた聖櫃」のラストで、それまでは一切なかったわけのわかんない力が炸裂し、善悪を超越した畏怖の対称、純粋な力、わけわかんないもの、としての「神」が垣間見えたような、そういう快感だ)。あれ、映画の話といいつつ、なんだか俺のかなり狭い物語的嗜好を語っているような気がするな。まあいいか。

 あと、字幕ではいまいち伝わりにくいんだけど、「まことの名」というやつがこの映画ではけっこう重要なファクターで、そのへんもオカルトネタとしてわかっている感じで好感触。この「まことの名」にからめた中盤のクライマックス(「どう呼べばいいかは知っている」)ではちょっとホロリときてしまったですよ。ジョン・ハート、うまい。 

 セルマ・ブレア演じるリズ・シャーマン。これが文系ボンクラ少年(がそのまま大人になった始末に終えない連中include俺)のハートをがっちりつかむ暗そうな女性。眼とかその下のクマにただよう物凄い物憂げな空気が萌えゲージマックス。

 あとエイブラハム・サピエン(「サピアン」じゃないでしょ〜林さん〜)。外見に似合わない理知的な喋りかた(ああ〜たびたび字幕文句で申し訳ないけどやっぱこいつの一人称は「わたし」でなく「ぼく」にしてほしかった〜)とユーモアにキャラ立ちまくり。後半出ないけど。

 と、キャラ立ちとオタクネタだけで上映時間をもたせているような強引な映画ですが(脚本的にも放置気味の要素が多々)、映画なんてそれだけでええんじゃ!という心正しきオタクのみなさんは映画館に行くとヨロシです。俺?オタクですから。