イリイチ連続体

 そんなある日、ボーリナスの郊外で、ミンの好戦建築の中でもとりわけ贅沢なものを撮ろうと支度しているとき、ぼくは薄い膜を突き破ってしまった。蓋然性という膜を──
 このうえなくゆるやかに、ぼくは“一線”を超え──
 見上げたとき目にはいったのは、十二発の膨れたブーメランのような代物で、全体が翼をなし、轟々と虚像のような優美さで東に向かっていく。あまりに低空なため、そいつの鈍い銀色の表面の、リヴェットの数ですら数えられそうなうえ──たぶん、ジャズの残響まで聞こえた。

ガーンズバック連続体」ウィリアム・ギブスン

 サイバーパンクはそれまであった「未来」を否定し、もっと生々しい、「街場」の感覚をとらえた、新しいSFだと、当時言われたものだった。けれど、ギブスンは知っていた。そんな未来像ですら、最終的には古びるものだと。「ガーンズバック連続体」を、サイバーパンクより前の科学技術万歳的で牧歌的な未来を笑い飛ばしたものだ、と解釈するのは、だからたぶん違う。サイバーパンクですら古びるのだ。ギブスンが「ガーンズバック連続体」で伝えたかったのは、そんな「文化の思いで」へのレクイエムだったんじゃないだろうか。そして、自分はそれと同じ、古びるべく運命付けられたものを生産している、という切ない自意識。

 いま「未来」を作ることは難しい。「未来」から驚きを引き出すことは難しい。サイバーパンク的未来がこないとわかったあとの世界で、いまのところ「未来への指向」の方法論としていちばん面白かったのが「マイノリティ・リポート」だというのも情けない話だけど、それはやっぱり事実だと思う(小説ではスターリングがそんなことお構い無しに面白い未来をガンガン生産しているけど)。

 そんな時代が、「未来」を作ることに臆病になっているこの時代が、指向しているのはどこだろう。答えは明らかだ。「ガーンズバック連続体」の未来だ。かつて夢見られた「未来」、「昔の未来」をファッショナブルなスタイルとして描くという方法だ、

 いま、それは物凄い勢いでメディアを席巻しつつある。スカイキャプテン・アンド・ザ・ワールド・オヴ・トゥモロー(スカイキャプテンと未来の世界)はその極端な例だし、去年やったアニメの「鉄腕アトム」の手塚フューチャーっぷりや、サンダーバード実写もそうだ。

 自分は、この「古き未来の再生産」のラインナップに、70年代的超管理社会ディストピアが入ってきた、と「リベリオン」で感じた(その辺の詳細は本サイトのリベリオン紹介のほうに)。明るい科学技術の未来だけではない、絶望の未来すら「ファッション」になる2004年の未来なき世界。

 そして、ぼくはそのラインナップに、もうすぐ「ソ連」が入ってくるのではないか、と思っている。ファッションとしての「鎌とハンマー」、ファッションとしてのスターリンゴシック、ファッションとしての赤軍、ファッションとしてのロシア・アヴァンギャルド(はもうキャシャーンがやってるか)。

 押井守の「人狼」は現実に存在した歴史であるはずの「昭和」を、映画的スタイルに、ファッションに、「異世界」にコンパイルした(そのコンセプトを「イケる」と判断したのが、いまやっている今川アニメの「鉄人28号」なんだけど、実はこれ、押井守が10年以上前に同じコンセプトの企画書を書いている。東京オリンピック直前の東京を舞台にした「鉄人28号」だったそうだ。そのときの残滓が「人狼」、というか首都警ものになった、というわけ)。

 ソ連もそのような形で、もうすぐブームがくるんじゃないか。すでに海の向こうには 「THE RED STAR」というアメコミがある。United Republics Of The Red Star、URRSという架空の星の国を舞台にした、でも内容はあからさまにアフガン侵攻っぽい感じのアメコミだ。ってか、これかなり前にamazonで買ったんだけど、最近メタルギア関係でE3情報を集めてたら、プレステ2のゲームになってたのな。日本で販売しないかなあ。無理なのはわかってるけど。