六点鐘

 今日が最終回だったので、文芸座に「マスター・アンド・コマンダー」を再見しにいってきました。ラストにつき800円。

 実は、ひそかに今年の映画ではいまのところマイベストを走っているのがこの映画なのだった。三度め、ということで見た回数ではイノセンスに負けるものの(え?)、ひさしぶりにこういう清々しい戦争映画をみたっつーか、海洋冒険映画かくあるべし、ってものを見せられた、っていうか。地味だけど。

 正直、この映画、VFXをどこで使っているのかが、ぼくにはほとんどわからない。「ロード・オブ・ザ・リング」とかと違って、不可能なカメラ位置を想定したカットが存在しないからだ。どのカットもはっきり「予算的にも、技術的にも可能な」位置にしかカメラを置いていない。「本物の迫力」という陳腐な言葉を使いたくはないのだけれど、やっぱりこういう絵を見ると、ワンカットで主人公の顔のアップから全景へぐわっと引いていく、というような最近連発される大作CGカットの下品さと退屈さを思い知らされる。う〜ん、「マスコン」を見るまでまるで気がつきもしなかった指輪映画の「絵としての」退屈さに、これからは無自覚ではいられないのだろうなあ。ちょっと悲しい。

 ラッセル・クロウポール・ベタニーがマストのてっぺんに立っているカットはどう見ても本物の空撮なのだけど、リスクを考えるとCGIのようなきもする。劇中の霧で目のいい人なら、スモークによる物理的な本物と、CGIの霧を見分けることができるかもしれない(けっこう難しいぞ)。しかし、どれもが不可能なカメラ位置を徹底して禁じているために、どうにもこうにも本物に見える。仮に完全CGIショットがあったとしても(ないような気がする)、それは頭の中で完全に架空の現場の段取りを組んでから作り上げていった映像だろう。

 まあ、それはともかく、この映画の素晴らしさはなんとも人に説明しにくい。感動するわけでもないし、手に汗握るというわけでもない。言ってみれば「わくわくする」映画なのだ。指輪でもこんな「わくわく」はなかった。この映画は、見ているとなんだかうきうきしてくる。そして、その微妙な空気を他人に伝えるのは、すごく難しい。劇場にいく前からハンカチを持って泣くきまんまんで「世界の中心で〜」を見に行く観客のおおい、結果が映画に先行してあるようなこの世の中では、こういう映画の居場所はない。これが大作として作られたことは、ほとんど奇跡のようなものだろう。

 船。それがこの映画では有機的にからまりあった一個の巨大な「段取りの集合体」、システムであることを淡々と語る。大砲の撃ち方。戦闘配置においてはドリフのセットみたいな瞬時の隔壁の除去によって、船長室も食堂も消滅し、船内が一個の砲室に変身する。船が主役でラブロマンスはおまけ、と「タイタニック」は言われていたけれど、この「船という巨大なシステムを運用する」感覚はあの映画にはなかった。破綻する科学技術のメタファとしては、その船にはあまりに「段取り感」が希薄すぎたのだ。美術的にそれを再現したキャメロンはえらいけど、ディテールはそこで終わるものではない。そこから先、システムの構成要素として機能する人間たちの、メカニクスとしての「ふるまい」を描く必要があったはずなのだ。そしてこれは、「人間を描く」という紋きりのドラマとはまったく別の話だ。映画はドラマに向いていない。映画は心理に向いていない。しかし、「運動する、機械としての人間」の美しさを描き出すには強力なメディアだ。

 そしてこの「マスター・アンド・コマンダー」は、「タイタニック」が、そしてピーター・ジャクソンがとりこぼしたものを、ていねいに拾っていった映画になっているのだ。システムとしての船を描くこと。システムとしての戦闘遂行を描くこと。「運用」を描くこと。それはとてもとても見ていてわくわくする、「美しい」ことなのだ。

 惜しむらくはこれが大作であるという点なのだ。終りかたの爽やかさというか、「さて、次もひと喧嘩せにゃ」的な感じ、というのはいかにもなクリフハンガーというか、「こういう映画のシリーズがコンスタントに小屋にかかる」という現実には存在しない状態を想像させてくれて切なくなるのだ。こんな大作はそうそう連発できるものではないし、しかもこの映画はその巨額の制作費(だろうと思われる)に「見合った」、ド派手でゴリゴリの感動といったブロックバスターな語りも採用していない、奇妙に不釣り合いな、それゆえに奇跡的な作品だ。

 あ、ちなみにすげえ女性が多かったです。ムサ男は半分もいなかったような。文芸座の各プログラムのラスト、って女性が多いのかしら。それとも「マスタ・アンド・コマンダー」という映画に女性ファンが多いのかしら。この映画を「いまいちやった」という職場の上司も「あ〜、でも一緒に見たかみさんにはすごく好評やったなあ」とか言ってたし。勝手な印象だけれども、ショタ、という感じの女性にも見えなかったし、強いて言えば、海洋冒険小説ファンの女性、という感じだしたんだけど、そんなの本当に、あれだけの数いるんでしょうか。