You know my name.

マティーニを」
「シェイクしますか?ステアで?」
「こだわらん」

"you know my name"という主題歌のサビが、ぼくの脳内ではどういうわけか「俺の名を言ってみろ」と翻訳されてしまいます。歌ってるのはオーディオスレイヴのひと。

行ってきましたよ「カジノ・ロワイヤル」。今回は「ジェームズ・ボンド:エピソード1」なわけですが、冷戦のヒーローだったボンド(なにせ二次大戦に行ってますから……てかそれって今やったらすっげえ面白そうなんだけどなあ・・・「ヤング・ジェイムズ・ボンド」みたいなんじゃなくってさあ、ごりごりのノスタルジック冷戦ファンタジーを、こう)のエピソード1というわけではなく、仕切りなおし、リセットしてのスタートです。たぶんSASとしてコソヴォとかイラクとか行ったんでしょうね。知らんけど。あと劇中の戸田さんの字幕がしつこく「陸軍情報部」って強調してたのも気になったなあ。SISは外務省管轄で、MI6って「通称」は略称としての実態を伴わない「記号」として流通しているわけでしょう。「ミリタリー・インテリジェンス6」の略としてではなく。整合性という点からすると、せめて「軍事情報部」とでもしておくべきだったんじゃないかと……。え、マニアのタワゴトですか。そうですか。

とかオタ話を始められるように、私はそれなりにボンド映画を見ているゆるいファンなわけです。ボンド映画に対する愛着は、たぶんふつうの映画ファンよりも多めで、「ボンド映画だから」と言って多くの部分を許してしまう性癖も持っているわけです。だからまあ、以下は結構マニアのタワゴトに近いです。映画の感想というよりは。

と予防線を張っておいて、これ、良かったです。どれくらい、って、もしかしたら今までのボンド映画で私的には上位3位に入るくらい(ボンド映画自体がどうにも、って人には何の参考にもならないベスト3ですけど)。どこが、っていうと、ずばりあれだけ世界中で文句いわれまくって、失礼なことにその顔立ちにまであれこれ文句を言われまくった(不細工、ってすごいこと言っている人いたなあ)ダニエル・クレイグ君その人であります。

ダニエルのどこが良かったの?それはですね、このダニエル君、歴代ボンドの中でも1,2を争う人でなしに見えるんですな。どれくらい人でなしかっていうと、コネリーぐらい、いやもしかしたらそれ以上に人間の魂が宿っていない冷酷な殺人マシーンに見えます。たとえばブロスナンはどれだけ冷酷なことをやっても「でもやっぱり、人殺しの眼じゃないよね」と思ってしまう甘さがあったんですが(それがまあ、良かったところでもあるんですけどね)、クレイグのボンドははっきり言ってガチに人殺しの眼をしてます。ロジャーの甘甘ボンドはともかくとして、あのハードだったダルトンですら、どこかいい人臭がほんわか漂ってしまったのに対して、クレイグ君のボンドは最初っから人でなしの匂いがぷんぷんします。

今の人が初期ボンドを見てびっくりするのはたぶん、コネリー演じるジェームズ・ボンドが、まるで人格というものが存在しないかのような任務遂行機械であるところでしょう。彼は悲しんだり葛藤したりはあまりしません。初期ボンドははっきり言ってかなりアレな感じの人です。最近の映画の文法から言ったら、ほとんどデクノボウに性欲とジョークがオプションでくっついてきたようなだけの存在です。「カジノ・ロワイヤル」のクレイグ君は、そんな絶対に友達になれそうもない、人殺しの人でなしのボンドをオブラートゼロで最初からむき出しにしています。これ結構すごいです。
なんていうか、「レイヤー・ケーキ」まんまでボンドやってるじゃん、て感じ。

ただ、それだけではもちろん21世紀の映画では受け入れられないでしょう。脚本チームが賢いのは、そんな人でなしのボンドが、愛の名の下に腑抜けになっていく過程を物語にして、観客にフックを作ったことです。そしてもちろん、彼にはしかるべき結末が待ち受けており、我々が最終的に眼にするのは「やっぱ人でなしでいいっす」という寂しさ、取り返しようのない深い喪失によって開き直る、そんなやりきれない荒涼とした風景から007として生きる事を始める男の姿です。

そういうわけで、映画のラストの冷酷さは万歳三唱したくなりましたよ。人でなしです。そんな人でなしのツケなのか、今回のボンドは勇午並のマゾプレイです。心臓とか股間とかに凄い事されます。股間プレイは爆笑できるので必見。「ソドムの市(高橋洋版のほう)」かおのれは。そんな下品な拷問を思いついたル・シッフルさんもご苦労さんです。

そんなふうにボンドが際立って人でなし化してしまったので、今回の敵、ル・シッフルは、いつものような世界をどうにかしてしまう誇大妄想狂(好きなんだけどなあ)ではなく、借金取立て攻撃に苦しむテロリスト基金管理係、というなんだか哀れみを誘う切羽詰ったキャラであることもあり(マッツ・ミケルセンは俺が好きなタイプの顔なんだけどねえ。俺的には実写版グレイフォッックス候補ナンバーワンですな)、あんまり極悪には見えません。どうやらポール・ハギスは悪との対決というものにあんまり興味を示さなかったようです。この映画は実は、いままでに無かったタイプのボンド映画かもしれません。それはどういうことかというと、ほんとうに「ボンド」が出来上がってゆく、つまりボンドという人間が成長(といえば聞こえはいいですが、なにせスパイとして成長するのですから、あんまり明るい話ではありませんな)する物語になっているのです。ボンド映画ではボンドが成長したり変化したりすることはありません。唯一の例外はボンドが結婚した「女王陛下の007」なのですが、そういえばこれ、ちょっと「女王陛下」に似てますな。

というわけで、「人殺し」ジェームズ・ボンドが久々に見られたこの映画。「OO要員は長生きしないですからね」とMにのたまわるあたりも、人生投げてます的なやけっぱち虚無感が漂っていてサイコーです。これがブロスナンだとジョークに聞こえてしまいますが、クレイグ君だと単に真実を告げているようにしか聞こえないところが、すばらしいのです。

私的にはボンド映画の中でもトップクラスの映画になっていたと思います。え?ベスト3に入るって、あとの二つはなにかって?ひとつは「リビング・デイライツ」です。あとひとつは……ないしょ。

あ、忘れてたけど、エヴァ・グリーンが超絶かわいい。いつもかわいいけど。今回で言うと、鏡の前で化粧してる顔がかわい過ぎて死ぬ。思わず「ドリーマーズ」のDVDを買いそうになった。けれど、前もそうだったようにベルトルッチのコメンタリーに字幕がついた日本版を買うか、それともエヴァのアレからアレまでばっちり拝めるリージョン1を買うかで迷い、また見送ってしまった。俺にとって「ドリーマーズ」DVDとは、映画マニアとしてベルトルッチのコメンタリーを理解したいという心と、アレでナニなエヴァを見たいという下半身の間で引き裂かれる、理性と性欲のコロセウムなのである。だからなんだ

余談ですが、この映画でやってるのはフロップポーカーです。共有手札があるやつね。日本で普通にやっているポーカーとはちょっと違うので、そこはしっておいたほうがいいかも。