ライフ・アクアティック

やらしい。デビッド・ボウイの使い方とか、DEVO持ってくるあたりとか全部やらしい。ウィレム・デフォーの使い方とかゴールドブラムの役どころとか、もう全部下品な感じ。いや、下品は下品でいいんだけど、楽しくない種類の下品さというか、収まるべきところに収まり過ぎたキッチュさがぜんぶやらしい。なんか、楽しくないのだ。楽しいはずなのに、これだけやってくれれば楽しくないはずがないのに、それでも見ているあいだまったく楽しくない(退屈、ということではない)。

うーん、困った。ぼくの感性が摩滅しつつあるのだろうか。「キングダム・オブ・ヘブン」の評判の悪さといい、「ライフ・アクアティック」の評判の良さといい、他にもいろいろ、世間とのズレを感じはじめているのだけど、結構それが辛くなってきた。

いや、全部が全部楽しくないわけじゃなくて、飛行機がフレームを低空で横切っていくカットとか、そういうのは良かったんだけど、見ているあいだ、すべてがきれいに収まり過ぎて、これって映画なのかしら、という疑問がずっと頭から離れずにエンディングを迎えてしまった。最後に男の子をビル・マーレイが肩に担いだときは本当にがっかりしたのだけど、それを説明するのってけっこう難しいなあ。

断面図セットをワンカットで、とか絶対に楽しいはずなのに、なんだか椅子に座ったぼくは終止カチコチで、ひたすら100点満点の答案を見ている気分だった。架空の水中生物のポップな感じとか、楽しいはずなのに。大好きなはずなのに。すべてがこなされているのに、こなされているがゆえにまったく楽しくない、ってぼくが歪んでいるのかしら。やらしいのはこの映画じゃなくて、ぼく自身がやらしいのかしら。これだけ揃っていれば楽しいはずなのに楽しくない、って、あれ、「スチームボーイ」に似ているぞなんだか。

まあ、「スチームボーイ」ほどフラットではなく、少なくとも退屈はしなかったのだけど、なんだかフィクションをあまり信用していない感じが、ウェス・アンダーソンと大友さんって似てる。どっかで無条件になれる瞬間を許さない感じ、段取りばっか整えてキューブリックとかアンゲロプロスとかとはまた別種の完璧主義を発動している感じが。

ケイト・ブランシェットも、デフォーも、ゴールドブラムも、なんだか窮屈そうだ。ものすごい自由を使いこなせていない感じで終止演技している感じがする。そんな窒息しそうな自由をものともしないビル・マーレイだけが、この映画の中では一番映画っぽくて、全力でフィクションしているというか、フィクションも現実もない、ただ突発的であるがままのケイオティックな世界を生きているというか、とにかくしぐさのひとつひとつや表情のすべてが「うぉつ!」という驚きに満ちていて、ラスト、そんな驚きに満ちた表情で感極まるマーレイはひたすら凄いとしか言いようがなく、それはなんだか生気のないケイト・ブランシェットが彼の肩にそっと手をやる、などというがっかりするようなことをその場面でやらかしても、その驚きはいささかも傷つけられはしないのだった。

ビル・マーレイだけが、ウェス・アンダーソンの窒息しそうな自由から自由で、そこにこの映画唯一の驚きと感動はある。いい意味で俺俺映画な感じなんだけど、この映画自体はぼくが映画館に言って期待する「うおっ!」という瞬間、逸脱、思わぬところでのっぴきならない現実に出会ってしまったような不意打ち、をいささかも備えてはいなくて、いや備えてはいるんだけど、それをビル・マーレイという役者1人が全面的に背負っているというのは、やっぱり演出の敗北なんじゃないかしら、とそんな納得いかなさがずっとつきまとって離れなかったのだった。決定的なところでフィクションを信じていないような、期待も失望もないひたすらのっぺりしたフィールドで撮られたような、そんな感じ。

うーん、書けば書くほど、単にぼくの「優等生に対するひがみ」でしかないような気がしてきたなあ。自分を嫌いになりそうだ。