コンスタンティン

 反逆者のことかい?そうだな、今じゃあみんな官製の歴史に一本化されてしまって、解釈といったって唯一天使団のがあるだけだが、まあ真実は自分で確かめるんだな・・・ここんとこ連中はルシフェル共産主義者だってことにしようとしているが、相当大雑把なくくり方をしたって社会民主主義者だったというのが精一杯ってとこだな。改良主義思想をもった知識人、そういうのがぴったりだね。本当に革命が起きたときには蚊屋の外って連中の一人さ。結局やつは何を望んでいたかって? 代表権の拡大とカオスの区画化さ。
ウンベルト・エーコ「もうひとつの至高天」(新潮文庫ウンベルト・エーコの文体練習」収録)

 むかしから気になっていたんだが、キリスト教にはほかの大宗教にくらべ際立って異なる特徴がある。他の宗教はぼくの知る限りこれがほとんどないか、相当な薄味だ。

 それはネタを誘発しやすい宗教だということだ。

 信仰のないものはもちろん、当の信者からもこれほど話のネタにされている宗教って他にないんじゃないか。いや、話っていっても雑談じゃなく、物語のこと。つまり創作の場で、キリスト教というやつは大量の創作物を生み出している。仏教やイスラム教はこの点でまったく勝負にならない、というよりキリスト教に比べ信仰の純粋性が保証されているというべきか。

 つまり、ヲタ業界にたとえるなら、キリスト教二次創作がむちゃくちゃやりやすい宗教だということだ。同人のネタにしやすい世界設定があるのだ。そういうわけでダンテもミルトンもキリスト教同人誌を書き、「神曲」と「失楽園」はともに大ヒットして書物の歴史に名を刻んでしまった。キリスト教の公式設定に俺様脳内設定を付け足した、TRPGのアドバンストブックみたいな本が。これはちょっと他の宗教にはない情熱だ。

 しかも、教会自体がその「世界設定欲」を煽るように、次々と謎やらレアアイテムやらを生み出して、これはもう物語を作るなというほうが無理だ。洗礼者ヨハネの右手にロンギヌスの槍、スダリウムに聖骸布、果てはイエスの割礼包皮(主のちんちんの皮である!)、聖書の矛盾、オフィシャルからは抹殺されたアポクリファ・・・完璧なお膳立て。もうこうなれば同人誌作り放題だ。

「あ、俺の名前『嫉妬』だから、そこんとこ夜露死苦」とかのたまう旧約の神さまは行動が無茶苦茶で、それゆえいくらでも御心の解釈のしようはある。聖書自体にもあいまいな記述がおおいから、そっから隠された意味を引き出そうなんて連中も出てくる。「キリスト教」同人誌市場は、これまで存在したどの二次創作よりも古く、膨大な需要をもつ市場を形成している。信仰告白から教義の罵倒まで、バリエーションも広い。悲劇もコメディもなんでもござれだ。

 映画もこの魅力的な世界設定を思う存分使い倒してきた。偉大なる「ライフ・オブ・ブライアン」は別格としても、その数をあげればきりがない。他の宗教からすれば「ここまでやっていいの?」なんてネタも平然と飛び出す。「ブルース・オールマイティー」なんて題名自体がスレスレだし、神様役でモーガン・フリーマン、というのも凄い。マットとベンの愉快な天使二人組が殺戮の限りをつくす「ドグマ」なんてのもあったね。

 というわけで、この「コンスタンティン」はというと、世界観拝借型のキリスト教二次創作だ。神様とかガブリエルだとかルシファーだとか、人気のキャラが登場しながら、もともとユルめの世界設定を利用して、ユルさのはざまに俺設定を押し込んでこの作品独自の世界をつくる。

・・・が、「ブルース・オールマイティー」「ドグマ」さらに「ライフ・オブ・ブライアン」を引き合いに出したのはべつにテキトーに言ったわけじゃない。というか、こういうキリストネタって、どうしてコメディが多いんでしょうね?そう、「コンスタンティン」意外なことにこれが限り無く血圧の低いコメディだったのだ。

 微妙な笑いが延々と続くので、けっこう退屈な映画かもしれない(ひとによっては、どこがギャグだったのかわからないまま映画が終わってしまうかもしれない)。話もいまいち焦点があわないまま展開するので、かなりまったりとしている。が、冒頭の教会で「アレ」が発見される場面の微妙なユーモア(あんな廃墟でいい大人が何してたんだよ!)から、この映画が妙なギャグを連発するオカルトハードボイルド気取りの低体温コメディだとわかれば、それなりに楽しめる映画にはなっている。個人的に好きなのは、悪魔のハーフに対して主人公が「黒幕を吐かないと、貴様の罪を赦してやるぞ」と「脅迫」するところ。アホ過ぎて傑作。それと、

「コリント人の手紙は17章しかないわ」
「いいや、地獄版の聖書では21章まである」

・・・なんだよ!地獄版て!おまえは中学生か!こんなアホな設定がコメディでないはずがないので、あんまり真面目に見る映画ではない。神様ネタでオカルトなので、構える人も多いでしょうが、限り無く真面目で厳粛な状況が外から見ればオマヌケである、ということを制作者はわかっているらしく、基本的にこの映画はそういうスタンスに貫かれている。

 笑いの温度が低くてユルい、と書いたけど、クライマックスで「大物」が二人登場してからはテンションあがりまくり。てかこの映画でテンションあがるのここ(ラスト15分)だけだから、このために本編の大半がローテンションなこの映画に1800円払うかどうかは微妙だけど、でもぼくはここだけで十分モトとったね。特にピーター・ストーメア演じる「あのお方(『一敗地にまみれたからとて、すべて失われたわけではない』と言ったあのお方ですよ)」がチャーミングでたまらん。ここまで魅力的だとストーメア萌えである。ストーメアとティルダ・スウィントンがぜんぶおいしいとこ持ってくと言っても過言ではない。いや、ストーメアってほんといい役者だなあ。

ノベライズ

コンスタンティン」のノベライズの著者が「ジョン・シャーリー」って書いてあるんですけど・・・これってあのジョン・シャーリイですか。どうなんですか。サイバーパンクも遠くなりにけり。まあクリストファー・プリーストの「イグジステンズ」なんてのもありましたが。