「戦争請負会社」P.W.シンガー、NHK出版

Take a close look at the track record of this company, and you'll see that we've gambled in markets traditionally regarded as non-profit--hospitals, prisons, space exploration. I say "good business is where you find it".

と、ディック・ジョーンズ氏はおっしゃられたわけです。オムニ社ことオムニ・コンシューマ・プロダクツ社の重役会議において。病院や刑務所や宇宙開発とかいった利益をあげない分野を、我々はマーケットとして開拓してきた、と。「よき商売は、そこにある」

というロボコップの「警察が民営化された未来」というのは、87年当時、中学生で劇場公開時に観た私の心にはものすごくインパクトのある設定として映ったわけです。警察が民営化なんて、そんな無茶苦茶な、でもブッ飛んでて凄い、と。

それから18年を経て、世界を見回してみると、なんとそれが現実になっているどころか、軍隊までもが民営化されようとしているではありませんか。

というわけで、「戦争請負会社」を読んでいるんですが、ひさしぶりに本を読んで興奮しています。なんだかSF読んでいる気分です。ここに書かれているのはまぎれも無く現代であり現実である「いま、ここ」なんですが、特に第二章「軍事民営化の歴史」と第四章「なぜ安全保障が民営化されたか?」を読むと、組織化された暴力が国家に集約されていたついこの間までの状況が、歴史的にはむしろ特異なのだ、という価値観の逆転、センス・オブ・ワンダーが味わえて、ここまでくるとほとんどSFの興奮に近い。

おしえてお爺さん、そうか教えてやろうハイジ、軍事教練だ。腐った口を開くなこのオフェラ豚。とハートマン教官のように言ったかどうかはともかく、アルムのおんじことハイジのおじいさんは昔、スイスから統合直前で荒れまくっていたイタリアに傭兵として出稼ぎに出ていたことがあるわけで、軍事力というのはかつては個人レベルで切り売りされていたことがあるのです。

マクニールの「戦争の世界史」によると

16世紀のヨーロッパ諸国の海軍力のひとつの重要な特質は、そのほとんど民業的な性格であった。たとえばイギリスにおいては、英国海軍は、民間所有の商船から分化しはじめたばかりだった。実際、1588年にスペイン艦隊と砲火をまじえた船の大部分は商船であり、そして商船といっても、その平時のなりわい自体が、貿易と掠奪が半々くらいだった。

とあるように、そもそも軍事行動と犯罪行為と商業活動とは未分化の、一体となった活動であり、

同じことはアルマダ艦隊そのものについてもいえた。アルマダのうち40隻は武装商船で、専用の軍艦は28隻にすぎなかったのである。(「戦争の世界史」)

つまり、戦争は単純に儲かったわけであり、完全に経済サイクルの一部をなしていたわけです。

この本のインパクトは、読んだあとに戦争行為が完全に既存の経済システムの枠内でサイクルを成す「流通の一部」に見えてしまうことで、これは「戦争は儲かる」といった紋きり以上の衝撃を覚えました。たしか「アイアンマウンテン報告」の論旨のひとつに、戦争は完全に人工的な需要であり、経済システムの外にあるがゆえ、経済コントロールにおけるバッファの役割を果たすことができる唯一の機能である、というものがありました。

(「戦争」の経済的代替になるシステムは)ことばの常識的な意味で「無駄」でなくてはならず、次に通常の需要供給システムの外で機能しなくてはならない。(アイアンマウンテン報告)

代替案に無駄な宇宙探査計画が提示されていることからもわかるように、「アイアンマウンテン報告」においては、戦争はまさしく壮大な無駄そのものであることによって、社会に欠くべからざる機能を有していることになります。

しかし、この「戦争請負会社」が導き出すビジョンは、よりぞっとする面白いもので、戦争がむしろ無駄などではぜんぜんなく、さらに完全に通常の需要供給システムの内側にある、またはそうなりつつある、というものです。ここまでくるとほとんどSFですが、びっくりすることにこれは現実だったりして頭がクラクラします。

「戦争の民営化」という題材以上の起爆力を秘めた、ほとんどSFといってもいい価値の転倒を(私のように歴史にも経済にも無知な人間にはとくに)ひき起こさせてくれる本。